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16話 青ヶ島の巫女さんたち |
2003.12.01
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ふつう、巫女さんというと、初詣の神社で見かける、緋の袴を履いた若い女性のことを想う。今日の神社神道では、巫女は残念ながら神職とは考えられておらず、初詣の縁起物の販売員のように扱われている。しかし、ここでいう巫女は古い信仰の形を遺している。
青ヶ島の巫女は、村落共同体の祭祀組織の重要な一員ということでは、沖縄のノロに近い(ただし、琉球王朝時代のノロは琉球国家神道の神官で、祭祀は女性だけしか携われない)。さらに、神がかりをして託宣をするという点では、沖縄のユタ(民間の託宣的宗教者)や青森県の恐山のイタコに似ている。日常生活では、一家の主婦である、ということでも沖縄の信仰と共通している。いうならば、弧状列島の古い信仰の形態を留めているのである。
青ヶ島の巫女になるためには、神に選ばれなければならない。カミソウゼ(神奏請ぜ?)を受けなければならない。神はどういう人を選ぶのかというと、ミコケ(巫女気=巫女になりうる素質;ある種の霊的素質)のある人である。それはだいたい女系(母系)で継承されるが、当然のことながら、同じ姉妹でもミコケのある人もいるし、ない人もいる。
40代で軽い心的異常の状態を来たしたときなどに、カミソウゼを受けることが多いようである。昔の子どもは、そういうとき、「あがカアチャン、ダンシン(乱心)にならら」とか、「あがカアチャン、カミサマになろんて、ヨウケ(夕食)をかみんじゃらあ(食べないのです)」とか言った。そして、このカミソウゼを受けると、ほとんど、そういう症状は改善するのである。
一般的には、カミソウゼは、神を憑ける儀式だと思われている。しかし、その実体はむしろ《送り立て》に近く、憑いていた神を引き剥がして、その人のオボシナ(守護神の義。その原義はウブスナ=産土)とし、カミソウゼ成就後は必要なとき神に協力してもらうのである。オボシナが一柱の人もいれば、七柱も付いている人がいる。
女性ばかりでなく、男性の場合にもミコケという言葉を使う。男性の場合も、基本的にはカミソウゼを受けてシャニン(社人・舎人)になる。ただし、神事が好きで手伝っているうちに卜部(うらべ。ベテランの社人が昇格する)からゴヘイ(御幣)の切り方、祭文の唱え方…等々を伝授されれば、カミソウゼ無しで社人となることができる。わたしの場合もそうだが、そういうときでもオボシナは付いている。
わたしのオボシナはテンニハヤムシサマとカナヤマサマという青ヶ島の固有神だが、人のよってはクニ(国地=本土)の神々や、仏教系の神々が付いていることもある。八丈島や小笠原の神社境内の石場には、青ヶ島系の巫女・社人のオボシナを祀った祠が奉納されていることがある。巫女・社人の霊的能力は、その付いているオボシナによって決まる。ただし、その数ではなく、神様の職掌と、もともとのミコケの霊力によって決まるようである。
わたしの知る限り、予知能力などで最高の霊的能力を発揮したのは、平成13年9月、99歳直前で逝去された廣江のぶゑさんだった。彼女は青ヶ島方言(万葉集の東歌、常陸国風土記にみられる上代東国方言の直系の言語。ふつうは八丈方言という。)のもっとも正しい伝承者でもあり、じつは女性タレントの篠原ともえさんの曾祖母である。のぶゑバイがいないと、祭りができないほどであった。亡くなる直前まで、びっくりするほど記憶力の高い人でもあった。
廣江のぶゑさんにはいろいろの想い出があるが、あるとき、わたしは「東台所神社の祭神は誰ですか」と訊ねたことがあった。東台所神社の祭神は青ヶ島ではテンニハヤムシサマ、浅之助、おつなの三柱で、明治8年12月、足柄県から村社の指定を受けたときはオホナムチ(大己貴神)というこにされたが、まだ、そういうことを一切、知らないときであった。のぶゑさんに訊ねると、「へんどうことを…。神様は神様でよかんのう」と怒られてしまった。それでも、わたしは何となく「オオナムチではありませんか」と、聞き返したのである。すると、のぶゑさんは「神様がとりでに教えてくれるものどうじゃ」と答えたのである。彼女によれば、カミソウゼを受けて巫女になれば「あんでもかんでも神様がとりでに教えてくれろわ」ということになる。
たとえば、祭文にあわせての立ち舞いのとき、巫女さんのステップが一人ひとり違うのである。神様がとりでに(ひとりでに)教えてくれるからである。わたしはその違いを見ていて、巫女に付いている神が何柱か次第に判るようになった。
わたしの第一次在島時代には、のぶゑさん、ち宇さん、静江さん、キクミさん、八千代さん、キミ子さん、ソメさん…等々の巫女さん、卜部・社人としては長作さん、次平さん、勉二さん、孝次郎さん、寛一さん…等々がいた。今から思うと、そうそうたるメンバーだったのである。TVでプロレス中継があると、ズッコケてしまう社人もいたが、当時の「拝み仲間」の講的=座的な祭りの雰囲気を想い出すと、わたし自身が神話の中に住んでいたような気がしてくる。
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