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第2話 紫陽花とカンジョシバ |
2002.10.02
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ちょっと小振りの紋白蝶が四枚の羽を拡げたようなガクアジサイの花。わたしたちがその花を初めて目にしたのは昭和46年5月10日のことだった。背中にたくさんの荷を載せたベコ牛が息をゼェーゼェーさせながら、港とは名ばかりの三宝港の急勾配の坂を登っていく、そのあとを牛の屎尿を浴びないようにしながら車が走れる道まで出て、そのころ島に三台しかなかったジープに乗せてもらってオカベに着いたときだった。
妻が道端のガクアジサイの花を見て、一輪挿しにしようと思って摘もうとすると、「どこにでも咲くわよ…。牛メも噛みんじゃらーて…」と笑われた。
たしかに、間もなくすると、島ぢゅうがガクアジサイの花で覆われた。しばらく人が通らない山道や、すこし手を抜くと畑にまでガクアジサイが押し寄せてくる。しかも、ガクアジサイは牛メもたべないほどの、“嫌われもの”なのである。そんな植物の花を、飾ろうなんて…というわけである。
じつは、このガクアジサイはカンジョシバ(閑処柴)の別名を持っている。カンジョは前回の「くさかったはなし」でも紹介したように「便所」の義である。昔、お尻の後始末をする時、このガクアジサイを使ったからである。といっても、アジサイの葉でお尻を拭くのではなく、アジサイの茎で削ぎ落とすのである。ちなみに、紙が貴重だった時代は、日本のあちこちで、木の箆を使っていたらしい。そうしたことから、三宅島あたりでも、ガクアジサイはクソシバの異名を持っている。
ところで、カンジョシバは水洗トイレが普及していなかったころ、汲み取った屎尿をドラム缶に入れ、耕耘機に乗せて畑まで運ぶときにも使われた。わたしは、昭和46年から48年にかけて何度か、我が家の便所汲みをしたことがある。その都度、佐々木重雄さんのマグサ畑へ運んで《ぶっちゃる》のである。最初は何もなかったので、ミルク缶で作った柄杓で汲み、それを石油缶2個に入れて、佐々木哲さんから借りた天秤棒で担いで運んだ。その孤軍奮闘振りを見かねた重雄さんが手伝ってくれるようになった。
石油缶を天秤棒で運んでいるときもそうだったが、ドラム缶を耕耘機に乗せて運んでいるときも、しばしばピチャピチャ跳ねて身体に降り掛かった。そのようなとき、カンジョシバを石油缶やドラム缶に入れて、屎尿の飛沫を被らないようにするのである。
ちなみに、学校のトイレは、教頭の山田常道先生(のち村長)がわたしと同世代の教員の神子省吾、渡辺章宏のふたりの協力を得て汲んでいた。
また、臭そうな話になってしまったが、ガクアジサイにはカンジョのほか、別の用途もあった。それは、カンジョとはまったくの対極にある《神事》のときに使われる。
イシバサマやトーゲサマに御洗米、塩、鰹節を供えるときの折敷として使われるし、屋外での直会(なおらい)のとき、神々に供えたものとまったく同じものをガクアジサイの葉に載せて戴くのである。そうしたことから、カンジョシバは「閑処柴」の義ではなく、「勧請柴」ではないか、といわれている。じっさい、クソシバの異名を伝える三宅島では、ゴクシバ(御供柴)ともいわれている。すなわち、ガクアジサイはまったく相反する二つの名称を持っていたことになる。とにかく、伊豆諸島では、ガクアジサイの葉が神への御饌を載せるための神聖な台(容器)であったことがしのばれる。
さらに、青ヶ島では、芋焼酎(青酎)をつくるとき、ガクアジサイか、オオタニワタリの葉をエイガ(ハチジョウマグサ=ススキの一種で編んだ簾状の容器)の上に一面に敷きつめて醗酵させるが、ここにも《勧請柴》の貌がほの見えてくる。すなわち、カビ(カミと同源という説もある)である麦麹菌を勧請するからである。
ともあれ、青ヶ島に限らず、伊豆諸島では、各種の紫陽花の原種であるガクアジサイを、祭祀と便所の御用で使っていたのである。役牛から黒毛和牛へ転換して久しい今日、かつて島ぢゅうを覆ったガクアジサイも、ひところに比べると、勢いがなくなってきたように思える。こんなところに、と思える場所に、改良品種の紫陽花が咲いていることがある。
〔ガクアジサイの民俗については、興味のある方は『伊豆諸島・小笠原諸島民俗誌』(ぎょうせい、平成5年)収録の拙稿『第6章 祭りと信仰』の中の『第6節 祈願のかたち』を参照してください。〕
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