目 次
第01話 くさかったはなし
第02話 紫陽花とカンジョシバ
第03話 船に乗り遅れた江戸前鮨
第04話 住所・氏名・生年月日、みんな間違っているよ!
第05話 深夜、島凧の為朝の目は光っていた!
第06話 青ヶ島は民話の宝庫です?
第07話 青ヶ島の特殊公衆電話の秘密
第08話 その日は、誰もが哭いたーー宮本日共議長を”除名”した男の壮絶な死ーー
第09話 青ヶ島村役場の有線放送台での交換業務の風景
第10話 飲み水は天からのもらいもの
第11話 東台所神社の神がぼくを呼ぶ
第12話 昭和40年代後半の青ヶ島村役場の業務と行政無線
第13話 子どもたちの小遣い稼ぎ(?)
第14話 セスナに乗って投票用紙がやって来る--選挙戦三話-
第15話 青ヶ島の哭女(なきめ)たち
第16話 青ヶ島の巫女さんたち
第17話 キキミミ(聞き耳)がよけどうじゃ
第18話 青ヶ島の〈浜見舞〉の饗宴――初めて島へ渡った日の匂いのこと
第19話 青ヶ島の「ジイ」と呼ばれた男たち
第20話 きびがわりきゃあのー
第21話に続く
第9話 青ヶ島村役場の有線放送台での交換業務の風景
2003.05.01
 
 カタ カタ カタ。カサ カサ カサ。 ガタ ガタ ガタ。
 有線放送電話の交換機の点滅する音がかすかに聴こえてくる。
 「ボーサマーッ! スゥイッチを切んじゃってなっけどうか?」
 正人くんと、喜久一さんがほぼ同時に怒鳴る。
 有髪のボーサマ(坊様)こと教育長の廣江義秀さんは「おぉ、ひっかすらあてー」と言いながら、慌ててスイッチをオンにする。途端に、有放台のブザーが一斉に役場中に鳴り響く。
「うっわーっ! うるさっきゃあのー!」と、正人くんが一見、迷惑そうに、だが嬉しそうな顔付きで交換室に駆けつけてきて、ボーサマが手にしようとしていたレシィバーを被り、あちこちで点滅し始めたランプの下にある孔の一つにジャックを差し込む。そして、「すこし、待ちろっに…ま(今)、繋ぎやるから。どこげぇ、かける?」と言いながら、すばやくレバーを手前にひいて「誰某さーん」と呼び出す。
 ボーサマは、たまたま、ある家の電話機の受話器が外れて、交換台のブザーが鳴り始めたのを嫌って、ブザーのスイッチをオフにしているうちに、どこからも掛かってこないので、うつらうつらと居眠りをはじめてしまったらしい。ボーサマには、しばしば、そういうことがあった。もちろん、交換業務でてんてこ舞いの状態になることもあるが、午後1時半から2時半頃にかけてときどき交換機のランプがまったく点滅しないこともあったからである。
 有線放送電話は役場が運営しており、交換業務は役場職員が交代して当たっていた。わたしもかなりの頻度で、交換台に書類を持ち込んだり、そろばん片手に交換業務をした。しかし、役場に入庁した当初は、島言葉も、ましてや島民の親戚関係がわからず、大いに当惑した。
「あがどうが、あがところへ付けて、あがばいちゃんげぇ、つなぎやれにぃ…」
 意味はなんとなくわかるが、これは島の人間関係がわからないと、まったくお手上げだ。まず最初に、この「あ」(一人称)が誰だかわからないと、つなぐことができない。
 じつは、この人は、自分の家ではなく、立ち寄り先から電話しているのである。すなわち、翻訳すると、「わたしですが、私の家から電話したことにして、わたしのおばあちゃんの家を呼んでください」ということになる。もちろん、その声の主がわからないと、何も始まらない。そして、そのつぎには、その人の家族関係がわからないと、ただ途方に暮れるだけということになりかねない。ちなみに、当時、有線放送電話の接続料は、オカベ(休戸郷、西郷の2集落)が5円、池之沢(カルデラ内の総称;当時、数軒の家があった)が20円、三宝港が30円だった。
 もちろん、こちらの不慣れを慮ってくれる人もいた。聞きなれない声がしたと思ったのであろう、わたしが交換をしていると、「おめえ、だいどう?」という。「今度、役場に入った菅田です」と答えると、「クニ(本土の義)しゃんからおじゃろう人か? がまんどうな、辛抱してたもれ」と、わたしのことを気遣いながら、「あが誰某どうが、何番の誰々げぇ繋いでたもうれ」と言ってくれる人もいたのである。
 こうして、約半年後には、電話をかける頻度の高い人の声と、住民の家族構成と親戚関係を、頭の中に叩き込むことができた。もちろん、庶務民生係として国民年金関係、国民健康保険関係、児童福祉手当関係、老人福祉関係のすべて、そして住民票や印鑑登録などもしたので、極端に言えば、アタマの中に住民基本台帳が入っているような状態でないと、仕事ができないのであった。
 こうなると、有放台にいても、気分が楽になる。「あいどうが、あがところへ」(わたしですが、私の家へ)と言われても、全然まごつかない。ちょっと聴きつけない声でも「おめぇ、だいどう?」と言うことができるからだ。正人くんや謙次さん並みに応答ができるようになった。しかし、相手が子どもの場合だと、島出身の役場職員でも、めんくらうことがある。あるとき、ボーサマが怒っていた。
 ブザーが鳴ったので、ジャックを差し込んで「どこげぇ掛けやる」と訊ねると、相手は子どもだったらしく、「あがかあちゃんげぇ」と応えたらしいのである。とうぜん、ボーサマは「おめぇ、だいどう」と質した。すると、その子どもは「あいどうじゃ」と答える。ボーサマは再び「おめぇ、だいどう?」と言う。子どもも「あいどうじゃあ」と答える。「あいじゃ、わかりんのうが…」と質すと、子どもは「あいだらぁて…」と泣き声になる。その応酬に気が付いて、交換台に駆けつけると、子どもの声がボーサマのレシィバーが洩れてくる。その子どもにも聞こえるように「きみの名前を言うんだよ」と大声でいうと、子どもはやっと自分の名前を言う。ところが、ボーサマはもうぶち切れてしまって、教育長として子どもの家族構成ぐらい知っているはずなのに、その子の母ちゃんの名前が出てこない。そこで、ぼくのほうが教えるという逆転現象も生じた。ボーサマ以外でも、そういうことがあった。喜久一さんもときどき交換室から「誰は、どこの子どうー」と叫んでいたこともあった。
 交換業務をしているとき、送信側がほんとうに目的とする受信側と話しているか、最初の数秒間は交換手が聞いてもよいことになっていた。そういうとき、ときどき面白い体験をしたことがある。相手の声が聞きにくかったらしく、わたしが「誰某さんから」と言って呼び出したのに、受信側が「おめぇ、だいどう?」と訊ねたのである。すると、送信側が「あい、だららあ」と答える。受信側はそれでもわからなかったらしく、同じことを繰り返す。そのうち、送信側が逆切れして「そごん変どうこと言う、おめぇこそ、だいどう」とやり返してしまったのである。ふたりはお互いに「おめぇ、だいどう?」と「あいどうじゃ」を言い合って電話機をガチャン! 後からわかったことだが、ふたりとも少々、酔っていたという。正人くんの話だと、素面でもそういう電話の受け答えは、ときどきあるらしく、おもわずふきだしそうになってしまうことあったという。今から30年も前のことである。


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