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第13話 子どもたちの小遣い稼ぎ(?) |
2003.09.01
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「ボーサマは、おじゃろうか」と、すこし丁寧な物の言い方をする子どもは、そう言いながらやってくる。ぶっきらぼーな言い方の子どもの場合は、「ボーサマ、あるか」だ。こちらも、それに応じて、「ボーサマはま(いま)はなっけどうじゃ。ひょうーら(昼食の義。兵糧の転)噛みに行からら」とか、ただ素っ気無く「ないよ」と答える。
子どもたちは、お昼休みとか、授業と授業の間の10分間の休憩時間にやってきた。
「ボーサマ、100匹ぶんどうじゃあ。ちゃんと100匹ぶん、あるどうじゃ」と、新聞紙に包んだものを差し出す。ボーサマこと廣江義秀さんは、ノートに子どもの名前と捕獲数を書き込み、一匹あたり5円の報奨費を支払う。100匹捕まえれば500円だから、当時としてはよい稼ぎである。ただ、これだけ捕獲するのは、かなりの技術と知恵を必要とした。いくつもの巣をみつけて一網打尽にしなければ、これだけの数をなかなか集められるものではない。
じつは、子どもたちが持ってきたのは、鼠の尻尾である。死んだ鼠でも構わないのだが、数が多いと嵩むし、棄てるとき面倒なので通常は尻尾だけが持ち込まれた。ボーサマは台帳に記すと、脚を引きずりながら、尻尾や死骸を役場近くの秘密の場所に投棄したり、埋めたりしていた。
わたしの第一次在島時代(昭和46年5月〜49年1月)は、鼠が異常に多かった。農作物を食い荒らすし、ちょっと油断するとコック場(台所の青ヶ島方言。八丈島や小笠原も共通)の野菜類も齧られた。日が暮れると、屋根はどこからともなく現われる鼠たちの運動場に化してしまうのである。
おそらく、昼間はどこか巣穴に隠れているらしい。かつて青ヶ島の民家は、屋敷の周りをオリ(檻にあらず、正しくはヲリ。じっとして動かないという義の“居り”が語源)と呼ばれる風除けの石垣に囲まれていたが、その石と石との隙間にも巣が作られていたらしい。そのオリはちょうど屋根の軒と同じぐらいの高さだったので、鼠たちにはまさに職住接近の好条件だった。しかし、10匹ならいざ知らず、100匹の鼠を捕まえるには、かなりの運も必要だった。
その日の夕方、ボーサマはなんだかプリプリ怒っていた。何を聞いても返事もしないのである。ようやくその理由を聞き出すと、「子どもに騙された」というのである。尻尾の半分は鼠だったらしいが、あとの半分はケッビョウメの尻尾だっというのである。
ちなみに、ケッビョウメとは、トカゲ(正しくはヤモリ)のことである。今は青ヶ島でもほとんど見かけないが、昔は数台しかなかった車(ジープ)が通り過ぎると、その死骸がゴロゴロ転がるほど、あちこちにたくさんいたのである。子どもは、そのケッビョウメの尻尾を切って、適当に鼠の尻尾に混ぜたというわけである。ボーサマは子どもたちのその狡さと、そして、また自分が騙されたということに怒っていたわけである。
ところで、第二次在島時代(平成2年9月〜5年7月)になると、鼠ではなく、その対象はゴマダラカミキリとカナブンに変わっていた。鼠退治のため導入した鼬がネズミを確実に減らし、ついでにケッビョウメも駆逐してしまったらしい。昔もゴマダラカミキリはいたが、こんなにたくさんいたのか、と思うほどに増えていた。おそらく、ゴマダラカミキリの天敵はケッビョウメだったのかもしれない。
鼠の場合、一年中が対象期間だったが、ゴマダラカミキリとカナブンはたしか7月だけの期間限定だった。ゴマダラカミキリは1匹5円、カナブンは1匹1円で、役場が買い上げてくれるのである。子どもにとっては、鼠より捕まえるのに楽だし、たくさん捕まえることができるので、ちょっとした小遣い稼ぎとして好評だった。もちろん、大人が捕まえてもよいのである。
役場から郵便局へ郵便物を投函しにいく間の往復の道のりに、わたしはだいたい10〜20匹も捕まえることができた。ちょっと注意すれば、それほどたくさんいるのである。ハンノキの幹を空洞にする害虫だが、成虫はハンノキ以外にも止まっていた。それを指で捕まえて、紙袋にいれた。それを助役席の机の下に置き、担当職員に渡して、ちょっとしか捕まえることができなかった子どもにプラスαしてあげた。
たくさん捕る子どもの中には、ペットボトル一杯にゴマダラカミキリが入っていることもあった。500匹以上を一度に持ち込んだ子どももいた。もちろん、ペットボトルの中のゴマダラカミキリは死んでいて、それも腐敗し始めている。担当の職員はその悪臭を我慢しながら、一つひとつ数えるわけである。
わたしが助役を辞めたあとのことらしいが、なかにはズルイ親もいて、一家総出でゴマダラカミキリを数万匹も捕まえる人も出てきたらしい。わたしは小・中学校時代、担任から特別許可をもらって、遠足のときは必ず捕虫網と虫かご(時には植物採集の胴乱のこともあった)を持参するほどの“昆虫”採集少年だったので、その一網打尽のやり方を知っているが、それはあきらかに反則だ。
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