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第5話 深夜、島凧の為朝の目は光っていた! |
2003.01.01
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島言葉が飛び交っていた。謙次さん、喜久一さん、正人さんがSオウサマ(翁様の義?)をなだめている。 しかし、オウサマの“怒り”はなかなかおさまらない。青ヶ島小・中学校の沖山基徳(おきやま・もとのり)校長まで呼ばれて、みんなでオウサマをなだめている。たぶん、昭和48年1月中旬のことだった。
事の起こりは、その日の未明というか、深夜というか、Sオウサマがカンジョ(閑処=便所)で用を足そうと、ニハ(庭)へ出たときだった。ちなみに、そのころの青ヶ島では、便所は母屋から離れた、道路沿いの敷地内のニハ(家庭菜園も兼ねている)の片隅にあるのが一般的だった。オウサマは用を足したあと、何かに見られているような気配を感じていた。しかも、ブーンと《ぶなり》の音も聴こえた。オウサマは、こんな夜中なのに、どこかで子どもが凧をあげているのだろう、思ったらしい。それで、そのブナリの方向を見上げたのである。
Sオウサマは気絶するばかりにたまげた。オウサマ言うところの「おっかなきゃあ、おそろしけ顔の化け物」が、目の玉を光らせてオウサマを見おろしていたのである。そのため、オウサマは腰を抜かしそうになったのだ。
しばらくして、オウサマはその正体が予想どおり、島凧であることに気がついた。そして、子どもがこんな悪さをするのは、学校の先生の指導が悪いからだ、と考えたのである。
じつは、わたしも、その凧を偶然に見ていた。なにか異様なものがボヤッと光っている、どうやら凧らしい、それにしても、なぜ凧の中の為朝だか七郎三郎(しっちょうさぼり)を描いた絵の目が光っているのだろう、と思ったのである。
ともあれ、基徳校長がSオウサマに謝って、その場は何とか事なきを得た。そして、間もなくして、校長がその凧の製作者を見つけ出し、その言い分をニコニコしながら伝えにきた。
校長先生によれば、その凧を製作したのは、T君だった。彼は、その日はニシが強く吹いているので、オモシをもっと重たくさせなければならないと考えて、たまたま、そのとき手もとにあった懐中電灯の中の乾電池を垂らしてみよう、と思ったのである。そして、どうせ、乾電池を垂らすのなら、為朝の目のところに豆電球を入れたら、夜になっても自分の凧がわかる、と思いついたのである。こうして、彼は、島凧の為朝の目に豆電球を入れて凧を揚げ、そのロープを木に結び付けたのである。
もちろん、その話を聞いて、Sオウサマには申し訳ないが、みんながT君のアイディアに喝采した。そして、わたしも、彼が大人になったら、島のためにどんな素晴らしいアイディアをだしてくれるだろうか、と大いに期待したのだった…。
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