目 次
第01話 くさかったはなし
第02話 紫陽花とカンジョシバ
第03話 船に乗り遅れた江戸前鮨
第04話 住所・氏名・生年月日、みんな間違っているよ!
第05話 深夜、島凧の為朝の目は光っていた!
第06話 青ヶ島は民話の宝庫です?
第07話 青ヶ島の特殊公衆電話の秘密
第08話 その日は、誰もが哭いたーー宮本日共議長を”除名”した男の壮絶な死ーー
第09話 青ヶ島村役場の有線放送台での交換業務の風景
第10話 飲み水は天からのもらいもの
第11話 東台所神社の神がぼくを呼ぶ
第12話 昭和40年代後半の青ヶ島村役場の業務と行政無線
第13話 子どもたちの小遣い稼ぎ(?)
第14話 セスナに乗って投票用紙がやって来る--選挙戦三話-
第15話 青ヶ島の哭女(なきめ)たち
第16話 青ヶ島の巫女さんたち
第17話 キキミミ(聞き耳)がよけどうじゃ
第18話 青ヶ島の〈浜見舞〉の饗宴――初めて島へ渡った日の匂いのこと
第19話 青ヶ島の「ジイ」と呼ばれた男たち
第20話 きびがわりきゃあのー
第21話に続く
第3話 船に乗り遅れた江戸前鮨
2002.11.01
 
 平成3年4月の、たぶん中旬のことだったと思う。午前11時すぎ頃、青ヶ島小・中学校の女性教員が血相変えて役場へ走りこんできた。「役場の責任ですよ。全額を弁償してください」と、彼女は開口一番そう言った。
 わたしのアタマの中は真っ白になった。ひょっとすると、学校から何か言ってくるかもしれないと思ったが、分別ある教員のことだから、よもや、そんな馬鹿げたことを言ってくるとは考えてもみなかった。そんな期待が見事に裏切られて、二重のショックだった。
 じつは、彼女が抗議にやってくる少しまえ、八丈島の青ヶ島村分室の定期船担当の職員から、つぎのような内容の電話があった。
「朝、鮨屋から電話があって、青ヶ島の学校からの注文で、いま鮨を握っているところです、分量が多いので、すこし遅れるかもしれませんが、ちょっと待ってもらえるでしょうか、と…。その後、連絡もなかったし、注文したという、青ヶ島へ帰る先生も乗船したので、定時に出航させたのです。ちょうど船が港の外へ出ようとしたところで、鮨屋が車でやってきて、船をもどしてくれ、というものですから、船長にその旨、連絡したのですが、そのまま行ってしまいました。先生たちは怒っているかもしれません。全部、わたしの責任です。申し訳ありません」
 八丈島の八重根港と青ヶ島の三宝港をむすぶ航路は、現在は伊豆諸島開発の還住丸が就航しているが、当時は村営船「あおがしま」が走っていた。とうぜん、運航主体は青ヶ島村である。
 ところで、この日、青ヶ島村立の小・中学校では、教員組合の主催による新任教員の歓迎会が予定されていた。その目玉として、八丈島の鮨屋に江戸前鮨20人分を注文したらしい。しかも、バブル期とはいえ、彼らは一人前5,000円の豪勢なものを注文していたのである。そのために、鮨屋は手間取ってしまい、結局、数分遅れてしまったのである。
 教員側の主張によれば、すこし遅れるかもしれない、と連絡してあるのに、そのまま出航させてしまったこと、大声で呼んで聴こえる距離にいる船をもどさなかった、という2点で、役場に全面的な責任がある、というのである。「10万円全額を弁償してくれ、船担当の八丈分室の役場職員も自分の非を認めている」というのが、かれらの主張だった。
   それにたいし、わたしは「その鮨は青ヶ島へ帰る教員の手荷物ということで処理される手筈になっていたので、乗せなかったほうが悪いのではないか」と答えた。さらに、わたしは、青ヶ島村の条例・規程集を引きながら、たとえ青ヶ島村に全面的に落ち度があったとしても、運航約款によれば、弁償額は最高でも数千円にしかならない旨を伝えた。しかし、かれらは頑なまでに10万円の主張を曲げなかった。
 ところで、八丈分室の船担当の職員は、その直後「有給休暇」をとって、鮨20人分を持って、八丈島のあちこちに売りに出かけた。東京都八丈支庁や八丈町役場…等々、思いつくところは全て顔を出したらしい。しかし、かなりの値引きをしても、あまり売れず、結局は親類に無料で配ってしまったらしい。途中で引き受け先が見つかったのだが、彼に連絡がつかなかったのである。
 じつは、八丈島や青ヶ島には、ワサビではなく、洋ガラシで握った島鮨がある。これならば、青ヶ島の民宿に事前に注文しておけば、問題は生じなかったのである。ところが、教員組合(青ヶ島分会)は、新任の先生たちの口には“島鮨”は合わない、と思い込んでいたようなのである。こうして、かれらは“江戸前鮨”を八丈島の鮨屋に注文してしまったのである。
 ちなみに、八丈島では、飛行機が欠航すると、行き場のなくなった観光客用の弁当が行き来する。かつて、わたしが八丈島で青ヶ島へ渡るために船待ちをしているとき、午後1時ごろ、ある家へ寄ったことがある。その日、わたしはまだ昼食を摂っていなかったのだが、突然、どこからか電話が掛かってきた。「食事はまだでしょう」といわれたので、「そうです」と答えると、しばらくして豪勢な幕の内弁当が届けられた。そして、「これ、無料です」と言われた。じつは、その日、東京からの飛行機が欠航していて、日帰りの観光客の昼食用の弁当が宙に浮いてしまったのである。そのことを想いだして、おもわず苦笑してしまった。
 さて、この問題は、わたしが最終的に提示した《教員・村・鮨屋》三方一両損が教員側に退けられ、八丈分室の船担当が「全部、わたしの責任ですから、全額わたしが弁償します」と答えてしまったので、彼とわたしで5万円ずつ払って「決着」した。今は昔の話である。  

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