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14 公職選挙法施行令(昭和25年5月1日施行)第147条について |
2005.05.20
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昭和31年7月8日執行の参議院議員選挙まで事実上、国・都レベルでの参政権を奪われていた青ヶ島に対する法的制約について、もっと知りたいと思って、過日、日本離島センターの三木剛志さんと一緒に国立公文書館を訪ねて、いろいろ調べてみた。その結果、「公職選挙法施行令」には「(特定の選挙を行わない区域)」として「第147条 東京都八丈支庁管内青ヶ島村においては、衆議院議員、参議院議員、東京都の議会の議員若しくは長又は教育委員会の委員の選挙は、当分の間、行わない。」とあった。そして、ここでビックリしたのは、第148条の条文がなく、「施行令」は青ヶ島に関する規定だけで終わっていることであった。
じつは、わたしは、第148条には鹿児島県大島郡十島村(当時)に対する同様の条文が載っているもの、と勘違いしていたのである。しかし、トカラ列島(旧・十島村)は例の《SCAPIN‐677》によって、北緯30度線で暫定国境線が引かれて分断されていて、北側の上三島(現・三島村)は日本の行政権に属していたものの、南側の下七島(現・十島村)は昭和26年12月5日に本土復帰するまで日本の行政から分離されていたわけで、「施行令」の施行の時点では日本の法令の対象外の地域だったわけである。だが、現・十島村に対しても、第147条と同様の第148条が策定されて施行されたことは事実(ただし、青ヶ島のように現実には適用されるようなことはなかった)であり、わたしは第147条の廃止と第148条の改正・廃止の時期を今後の宿題としたい。なお、『昭和二十六年十二月五日附連合国最高司令官覚書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に伴い鹿児島県大島郡十島村の区域に地方自治法等を適用する際の経過措置に関する政令』によれば、下七島は便宜上「南十島村」と呼ばれていた。
ところで、青ヶ島に関して、もっと驚くべき事実が判明した。「公職選挙法施行令」第147条の差別的内容の文言の先駆的ともいえる政令が存在していたのである。昭和22年1月24日の内務省××(2字不明=おそらく「勅令」か?)第四号「東京都制施行令及び道府県制施行令の一部改正に関する件」によれば、「勅令第五十九号 第一条 東京都制施行令の一部を次のように改正する。 第百十六条第一項中「伊豆七島」の下に「青ヶ島、」を加え、「都議会議員」を「都長官及都議会議員」に改める。」とあり、その理由を「東京都伊豆七島中の青ヶ島は、交通その他の事情から現状においては東京都長官及び東京都議会議員の選挙を行うことができない等のため東京都制施行令及び道府県制施行令の一部を改正する必要があるからである。」とあるのだ。すなわち、その「理由」が「施行令」第147条を策定する際の根拠となったことが想定できるのである。
ちなみに、この「東京都制施行令等の一部を改正する」に携わった内務省の担当は「主査 鈴木行政課長」、すなわち後の東京都知事の鈴木俊一氏である。知事時代の鈴木氏が青ヶ島村に対して、よい意味での、執念とも言えるほどの好意を示してくれたのは、このときの反省からきているのではないかと思う。また、このときの総理大臣は吉田茂だが、その孫の麻生太郎総務大臣はそのことを知ってか知らないのか、わからないけれども、青ヶ島ファンである。漏れ聞くところによれば、過日、たしか3月の国会での質問(尖閣・竹島、沖ノ鳥島などの問題について?)に答えて、「青ヶ島の場合、僅か200人でも住民が島に住んでいること自体がありがたいことだ」というような主旨の発言をされたという。じつに、ありがたいことである。
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