目 次
01 生国魂(いくたま)
02 伊豆諸島という呼称の変更の問題について
03 カクレ青ヶ島ファンだった高円宮憲仁親王殿下の薨去を、こころから哀悼いたします
04 伊豆七島と伊豆諸島
05 《特定外周領域》の淵源とその系譜 ――ひとつの試論のための荒削りの素描――
06 ペリーの浦賀来航と沖縄、小笠原諸島、そして林子平の関係
07 ジル・ドゥルーズの《無人島》を読んでの心覚え
08 御蔵島という島名の中のクラという語の意味
09 尖閣、竹島、北方四島の問題――再び《特定外周領域》について――
10 伊豆七島は静岡県だったんですよ ー ある歴史学者はかく語りき ー
11 青ヶ島で国民年金の担当をしていた頃
12 宗像の津加計志神社と織幡神社を参拝して
13 国会議員および島を愛する全ての人へのお願い
14 公職選挙法施行令(昭和25年5月1日施行)第147条について
15 イザヤ書における「島々」の意味―世界史の交差点としての島々―
16 旧暦の霜月の寒さでタマフリの必要性を感じたこと
17 幻の鬼ヶ島(神奈川県川崎市中原区市ノ坪)を探しに行く
18 大田区の旧・鵜ノ木村の飛地・沖島(奥島)について
19 聖性と賤性が交錯するシマとしての窟
20 玉川弁財天と要島 ― 江戸時代の「水母なす漂へる島」を修理固成した要石の役割 ―
21に続く
09 尖閣、竹島、北方四島の問題――再び《特定外周領域》について――
2004.04.15
 
 昭和21年(1946)1月29日、連合国軍総司令部(通称、GHQ)は「特定外周領域の日本政府よりの政治的行政的分離に関する件」という覚書を発表した。
 ここから発する諸問題については、わたしは〈島風とシマ神〉の『《特定外周領域》の淵源とその系譜』(2003.02.15)の中で、伊豆諸島、とくに伊豆大島と青ヶ島の視点から論じた。しかし、読者の方々には、その重要性を認識していただけなかったようである。そこで、若干、角度を変えて、中・台、韓・朝、ロシアとの間の未解決の領土問題という視点から、あらためて問題提起をしてみたい。

 まず、問題の覚書(連合国軍総司令部指令第677号)の内容を見ておこう。
「 1. 日本国外の総ての地域に対し、又その地域にある政府役人、雇傭員その他総ての者に対して、政治上又は行政上の権力を行使すること、及、行使しようと企てることは総て停止するよう日本帝国政府に指令する。

2. (省略)

3. この指令の目的から日本という場合は次の定義による。日本の範囲に含まれる地域として
日本の四主要島嶼(北海道、本州、四国、九州)と、対馬諸島、北緯30度以北の琉球(南西)諸島(口之島を除く)を含む約1千の隣接小島嶼
日本の地域から除かれる地域として
(a) 鬱陵島、竹島、済州島 (b)北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)、伊豆南方、小笠原、硫黄群島、及び大東群島、沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島を含むその他の外廓太平洋全諸島 (c)千島列島、歯舞群島(水晶、勇留、秋勇留、志発、多楽島を含む)、色丹島

4. 更に、日本帝国政府の政治上行政上の管轄権から特に除外せられる地域は次の通りである。
(a) 1914年の世界大戦以来、日本が委任統治その他の方法で、奪取又は占領した全太平洋諸島 (b)満州、台湾、澎湖列島 (c)朝鮮及び (d)樺太

5. この指令にある日本の定義は、特に指定する場合以外、今後当司令部から発せられるすべての指令、覚書又は命令に適用せられる。

6. この指令の条項は何れも、ポツダム宣言第八条にある小島嶼の最終的決定に関する  
連合国側の政策を示すものと解釈してはならない。 」

 すなわち、第三項の(a)から(c)までの地域が《特定外周領域》なのである。このうち、(b)の「北緯30度以南の琉球(南西)列島(口之島を含む)」には、トカラ列島の下七島(現在の鹿児島県鹿児島郡十島村)・奄美群島(鹿児島県)・沖縄諸島(大東群島をのぞく沖縄県の全領域を含む。問題の沖縄県石垣市に属する尖閣諸島もここに含まれる)が入る。
 「伊豆南方」とは、いわゆる伊豆諸島のことで、ここには東京都大島町、利島村、新島村、神津島村、三宅村、御蔵島村、八丈町、青ヶ島村の全領域と、八丈町と青ヶ島村との間で帰属が確定していないべヨネーズ、須美寿島、鳥島、孀婦岩(この四島は東京都八丈支庁管内ということにされている)が含まれる。「小笠原、硫黄群島」と「沖ノ鳥島、南鳥島、中ノ鳥島」は東京都小笠原村に属する。なお、「大東群島」は沖縄県島尻郡北大東村と南大東村に属している。
 いうならば、3項(b)の島々は、日本国へ復帰している島々なのである。その順番は伊豆諸島が一番早く昭和21年(1946)3月22日、次いでトカラの下七島(鹿児島県十島村)が昭和26年(1951)12月5日、3番目が奄美群島で昭和28年(1953)12月25日、4番目が小笠原の島々で昭和43年(1968)6月26日、最後が沖縄県の昭和47年(1972)5月15日である。
 ちなみに、伊豆諸島の場合、僅か53日間の日本からの行政分離ではあったものの、伊豆大島では日本からの独立を目指して「大島憲法草案(暫定・大島憲章)」を起草している。また、三宅島でも、独立を模索した人びとがいた。
 なお、青ヶ島では、「復帰」後も昭和31年(1956)7月8日の参議院議員選挙の日まで、日本国民としての最低の権利である国政選挙に関する選挙権を奪われていた。すなわち、公職選挙法第8条は「交通不便の島その他の地において、この法律の規定を適用し難い事項については、政令で特別の定めをすることができる」と規定し、それを受ける形で公職選挙法施行令第147条の「東京都八丈支庁管内の青ヶ島村においては、衆議院議員、並びに参議院議員、東京都の議会の議員若しくは長又は教育委員会の委員の選挙は、当分の間、これを行なわない」という条文によって、その時点では小笠原・沖縄以外の日本国内では唯一、選挙権が奪われてきたのである。いうならば、青ヶ島に関しては、そのとき、日本へ正式「復帰」したということができるだろう。
 3項(c)の千島列島には、安政元年(1855)日露通好条約によって日本領土と確定した択捉島と国後島が含まれる(歯舞群島と色丹島もこの条約で日本領土と確定)。というよりも、このGHQの指令が出た時点では、将来的には3項(b)と同様になるべきと考えられていたに違いないのである。

 ところで、シン・ヨンハ著、ハン・ソン訳『独島(竹島)』(インター出版、1997年6月6日)という本によると、「連合国最高司令部指令第677号第三項により、独島(ドクト)は日本領から明確に除外されたのである」との観点から、竹島が日本領土ではないと立論を展開している。もし、そうだとすると、伊豆諸島もトカラ列島(下七島)も、奄美諸島も、小笠原諸島も沖縄県も、日本ではない、ということになってしまう。
 すなわち、連合国側は、第3項の島々のことを、いずれも日本の《特定外周領域》だ、と考えていたということになる。いいかえれば、竹島(島根県隠岐郡五箇村)ばかりではなく、鬱陵島(ウルルンド)、済州島も、当時の連合国側は韓国・朝鮮領土と認識していなかったということになる。事実、済州島では、大韓民国(1948年8月15日成立)や朝鮮民主主義人民共和国(同9月9日)と同じ年の4月3日、済州島(当時、人口30万人)の三分の一が参加したという武装蜂起が発生し、その年の11月17日には済州島全域に韓国政府によって戒厳令が敷かれ、最低でも3万人、最大だと10万人が韓国政府によって虐殺されている。第3項(a)は、第4項の「朝鮮」とは明らかに違うのである。当時、済州島では、韓国、共和国、日本、独立という4つの選択肢があったわけであるが、韓国政府は当然、ひとつしか認めなかったわけである。
 ひとつの仮説だが、ここで《特定外周領域》の昭和21年1月29日の精神に戻り、当時の島民、旧島民、およびその子孫の総意によって、たとえば「ヤポネシア」を宣言し、特定外周領域の島々からなる島嶼国家連合を成立し、日本との緩やかな共同体を構想するというのも、個人的にはあってもよいのではないかと思っている。
 いずれにせよ、尖閣諸島、竹島、北方領土(千島列島の全体を含む)が日本領土であることは、GHQ指令第677号第3項によって明らかである、と思われる。
 
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