目 次
第29話
第30話 青ヶ島のニカイゾウリ
第31話 再び青ヶ島のニカイジョーリについて
第32話 獲らぬ狸の人口300人構想の一瞬の現実性の白昼夢の輝き
第33話 一枚の写真の記憶
第34話 買ってはいけない!宝島社の『ニッポン「不思議島」異聞』
第35話 新しい“無集配局”時代の郵止ピアが到来か?
第36話 通れなくなっていた槍ノ坂、会えなかったハンブン・カミサマ
番外 13年半ぶりの青ヶ島
第37話 フン嗅(くさ)、フークサ、フーンクサ
― 青ヶ島の節分の厄払い神事 ―
第38話 僕がシャニンになれたわけ
第39話 オトリサマ(お酉様)の祭りのトウショウジガミ
第40話 チョンコメ、青ヶ島バター、青かびバームクーヘン
第41話
第37話 フン嗅(くさ)、フークサ、フーンクサ
     
― 青ヶ島の節分の厄払い神事 ―
2007.03.01
 

 青ヶ島や八丈島では、節分の夜、年男が七、八寸に切った竹の先にササヨなどの臭い魚を挟み込んだものを何本も作って、家々を巡り、客座の前で立膝で座り、囲炉裏の火であぶりつつ、ちょっと滑稽な仕草でその臭いを嗅ぎながら、次のような呪詞を唱える。
 「フーン嗅(くさ) フーンクサ 年の始めの年神様に 焼きやかしをして お願申す(もーす) 芋(サトイモ)千俵万俵の息(におい)とかまって(「臭って」の義)候(そうろう) フーンクサ トビヨ(飛魚)千本万本の息とかまって候 カンモ(唐芋の義で、薩摩芋を指す)が千俵万俵の息とかまって候 フーンクサ 鶴は千年亀は万年 浦島太郎は八千年、三浦の大助(おうすけ)百六つ 海老の腰は七曲り ここの亭主は九十九まで(ここの部分は依頼人の家褒め、人褒めを即興的に行う。また、全体の詞章も時に応じてアレンジする)」
 こう言い終ると、年男は「福は内、福は内、鬼の眼を射て鬼は外」と大声で叫んで豆を撒く。そして、依頼者から出された島酒(青酎)やビールをいっぱい呑む。だから最後のほうに訪ねる家になると、年男はぐでんぐでんに酔っぱらって呂律が回らなくなり「フン嗅」の呪詞が唱えられなくなるという。
 昭和50年代の初めごろまでは社人の廣江勉二さんや佐々木重雄さんが専門の「年男」として家々を回っていたが、その後、重雄さんの長男で前村長の佐々木宏さんがその伝統を継承し、今は囲炉裏のある家が少なくなったので、七輪を持参して年男をやっている。そして、村長在職中も退任後の現在も、青ヶ島保育所で子どもたちの前で、青ヶ島の節分の日の伝統を披露している。
 ちなみに、厄落としをする人は、男の場合は昔は鍬(くわ)・鎌など、女の場合は布類・櫛(くし)鋏(はさみ)など、現在は小銭あるいは厄を付着させた物品を人に知られることなく、三叉路で落とし、その途中で人に会っても無言で帰宅しなければならない、という風習もあった。
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 ここで注目しなければならないのは、「焼きやかし」である。これは「やきががし」の転と考えることが可能で、カガシは「嗅がし」の義と思われる。『広辞苑』によれば、「獣肉などを焼いて串に貫き、田畑に刺し、その臭をかがせて鳥獣を退散させたもの。焼串(やいぐし)」とある。すなわち、臭いニオイで悪鬼邪霊を退散させるわけである。鰯の頭も信心から…、の諺のもとにもなっている鰯の頭を柊などに刺したものを節分の頃、玄関に飾る風習も同源だ。
 ところで、ここで「フン嗅」の呪詞について若干、補足しておきたい。最近、田仲のよ著、加藤雅毅編『海女たちの四季―房総海女の自叙伝』(新宿書房、2001年)という本を読んだが、4月20日の春磯の口が開く(漁の解禁)の20日前の大安吉日のオレゴモリのときの口上に、次のような詞章があるという。
「めでたいな、めでたいな、めでたい座敷へ、ほうらいさんを祭りこみ、ほうらいさんに松植えて、上からつるが舞い下り、下から亀が舞い上る、つると亀とのちえくらべ、つるは千年亀は万年、三浦のおう助百六つ、講中の皆様はもう一つまして百七つまでのご寿命とほめ申す」(同書14ページ)
 ここにも登場する「三浦の大助」とは「源頼朝の挙兵に際し、百六歳の長寿を保ったという三浦大助」(『日本古典文学大辞典 第五巻 は―め』岩波書店、1984年)のことで、「相模国三浦荘衣笠(神奈川県横須賀市)に本拠をかまえて、三浦氏を称し、世襲の官である大介を号し」た三浦義明(1092〜1180)のことである(『国史大辞典 13 ま―も』吉川弘文館、平成4年)。辞典の生年没年とは食い違うが、この桓武平氏高望王の流れをひく平安後期の武将は、伝説では百六歳まで生きたとされているのである。三浦大助は下戸だったが、不老不死の霊酒の匂いを嗅いだだけで、百六歳の長寿を得たのである。もちろん、ちゃんと呑めば、東方朔や浦島太郎のように、もっと長生きできたわけである。
 落語の「厄払い」には、次のような口上がある。
「あら、目出度いな、目出度いな、今晩今宵のご祝儀に、目出度きことに払おうなら、 先ず一夜明ければ元朝の、門に松竹、〆飾、床には橙、鏡餅。蓬莱山に舞い遊ぶ、鶴は千年、亀は万年、東方朔は八千歳、浦島太郎は三千年、三浦の大助百六つ。この三長年が集まりて、酒盛りいたすおりからに 悪魔外道が飛んで出て、妨げなさんとするところ、この厄払いがかい_み、西の海へと思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山の方へ、さらり、さらぁり」
青ヶ島の「年男」の口上も、このヴァリエーションに入るだろう。そこに、「やきががし」の風習が加味されているのも面白い。さらに、厄が付着した物品を捨てる風習だ。ここで歌舞伎の『三人吉三(さんにんきちざ)』の「大川端の場」の有名な「お嬢吉三」の名セリフを紹介しよう。
 「月も朧(おぼろ)に白魚(しらうお)の、篝(かがり)も霞む春の空、つめてえ風もほろ酔いに、心持よく浮かうかと、浮かれ烏の只一羽、塒(ねぐら)へ帰(けえ)る川端に、棹(さお)の雫(しずく)が濡手(ぬれて)で粟、思いがけなく手に入る百両。ほんに今夜は節分か、西の海より川の中、落ちた娘は厄落とし、豆沢山に一文の、銭と違った金包み、こいつぁ春から縁起がいいわぇ」
青ヶ島の節分の厄除け習俗には、こうした要素が網羅されているのである。


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