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第33話 一枚の写真の記憶 |
2006.08.01
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よき時代であった。否、よき時代の終わりであった。風景はその中にいると変化していくのがわかりにくいが、重ね合わせてみると動いていることがわかってくる。しかし、それはあまり大きな変化ではない。それに対し、光景は刻々と動いている。青ヶ島のさまざまな光景へのおぼろげな記憶。そして、光景は風景の中に溶け込んでいく。
わたしたちが風景の変化に気付くとき、それは光景を内部に含んでいる。わたしたちの網膜に焼きついた一枚の点景。それを取り出して見つめてみたが、やはり時の流れとともに周囲に靄がかかり始めている。鮮明な部分とぼやけている部分が一枚の点景の中に同居しているのだ。それを今の風景の中に置いてみると、ぼやけて見える部分の映像が多少なりとも修整されてくる。しかし、それは、ほんとうの点景ではない。心象風景としての点景である。
いま、ここに一枚の写真がある。不思議なことに、それを眺めていると、点景の中の空間が動き出すのだ。のぶゑさん、静江さん、八千代さん、はや子さん、キクミさん、キミ子さんらの巫女さんたち。そこには写ってはいないけれど、ソメさん、操さん、千代さんらもいた。もちろん太鼓を叩いているのは卜部の次平さん。その側には孝次郎さん、勉二さん、寛一さんらの社人もいた。
この短かい文章は、平成七年か八年の六月ごろ書いたものである。そのころ、『広報あおがしま』では、古い写真を載せて、それにコメントをつけていた。ちょうど、そのころ、我が家を掃除していると、キャビネ判のモノクロ写真が二枚でてきた。たしか大杉公志さんという名の写真家が撮ったものである。じつに、幻想的な素晴らしい作品だった。
わたしの第一次在島時代(昭和四十六年五月十日〜四十九年一月三十日)には、いろいろな人が役場のわたしをたずねてくれた。多分、大杉氏もそうした一人であったと思われる。神様拝みをしているところを撮りたいという希望だったので、次平さんの事前の了解をもらい、フラッシュを焚かないという条件で、祭に参加する気持ちで撮るなら構わない、ということでOKになったと思う。それは、旧暦の毎月十日の金毘羅様の月参りの祭だったと思う。
始まる前、たしか、はや子さんは「あが やだらあー。写真を撮られると、イノチが縮むわよー」と言っていたが、祭りの終わりに近づくころは踊りながら「写真屋さーん、しっかり写真を撮りやろうか? 神様が喜んでおろが、あが顔にフラッシュ焚いてもよっけんて、撮りやれにー」とまで言った。そう言われて彼がそれまで使わなかったフラッシュを焚くと、「ワー、ふじゃけなー、目がつぶれるよ、撮るよ、と言ってから撮りやれ!ドンゴ」と言って、扇子で彼を軽く叩くのである。そして、一緒に踊っていた巫女たちも「あがも あがも」と言ったのである。
その二枚は、そうして撮られたものである。揺れ動くローソクの灯りの中で、巫女たちが二重写しになりながらも、見事にその特徴を捉えた幻想的にも芸術的な、それでいてリアリティーのある写真だった。それに言葉を添えて本HPの管理人で当時は青ヶ島村教育長の吉田吉文氏へ送ったのである。それは今でも教育委員会のファイルのどこかに保存されているはずである。そして、その文章の下書きが先日、突然、引き出しの中から出てきたのである。
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