目 次
30
31 《八郎》子と源為朝
32 英語のislandの語源
33 〈シマ・ウッナー〉カイエ(1)
34 〈シマ・ウッナー〉カイエ(2)
35 還住(かんじゅう)と還住(げんじゅう)
36 息津嶋神・葛嶋神・坂代神という三島〈三宮〉構造
37 八丈嶋の「わきしま」鬼が嶋の〈五種+α〉神宝
38 都議補選(島嶼部)の開票結果と普天間の問題
39 村有地に建つ青ヶ島の神社
40 青ヶ島が奪われる?
41
31  《八郎》子と源為朝
2007.10.04
 
 『おもろさうし』を読むと、ときどき「てだ一郎子が てだ八郎子が」という句が登場する。たとえば、511(10−1)など。
 これにたいして、外間守善校注『おもろさうし(上)』(岩波文庫、2000年)は、次のように注記する。
「てだ一郎子(いちろく)・てだ八郎子(はちろく) 太陽神の異称。一郎、八郎は貴人に付ける名で、太陽神の尊称。」(p.335)
「貴人に付ける名」とか「太陽神への尊称」は結果的に、そうなったのか、あるいは、そのように見えるからなのか。
 おそらく、一郎という名は、太郎と同じく一族の《長》男の義であり、八郎のほうは末弟の義だ。すなわち、一郎と八郎で《兄弟(姉妹)がたくさんいる》という意味になるはずだ。太陽王の血統の兄弟がたくさんいるという事実は、ウッナーという《島》と《国》が威勢よく照り輝いている、ということである。
 とくに、末弟である《八郎》は、末広がりの裾野の裔たちの表象だ。したがって、《八郎》の輝きほど、その象徴的な存在はないということになる。いいかえれば、《八郎子》への憧憬である。もしかすると、おのれと最も身近な存在である《八郎》子!!
 その《八郎》は、その名を冠した源為朝でもある。太陽(てだ)神の末裔としての、琉球王朝の初代王である舜天。その父と目されているのが鎮西八郎源為朝である。その為朝への憧憬の表現が《八郎》ではないか。
 テダ神の直系の末裔としての源為朝。琉球王朝の遠祖としての源為朝。《八郎》であるところの源為朝。あらゆる《八郎》たちの象徴的存在としての源為朝。ウッナーンチュにたいする弥や益し益しの発展の、予祝としての《八郎》という人名の言祝ぎ。そして、《伊豆諸島》と《沖縄》をつなぐ源為朝。
 自分と限りなく近い存在としての《八郎》という存在。ウッナーンチュであれば、誰でもが《八郎》の末裔だ。《八郎》の末裔としての、為朝の系統であるという誇りの意識。もちろん、ウッナーにおいては、すべての人はテダ神の末裔である。ウッナーンチュと伊豆諸島の民は神話的精神史の上では同系だ。
 《八郎》子という存在は、その記憶を蘇らせてくれる。ウッナーンチュの男性の名前に、たとえば「屋良朝苗」のように「朝」の字が門中名として付く人が多いのも、《八郎為朝》との繋がりの意識から生じているのかもしれない。
 
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