目 次
30
31 《八郎》子と源為朝
32 英語のislandの語源
33 〈シマ・ウッナー〉カイエ(1)
34 〈シマ・ウッナー〉カイエ(2)
35 還住(かんじゅう)と還住(げんじゅう)
36 息津嶋神・葛嶋神・坂代神という三島〈三宮〉構造
37 八丈嶋の「わきしま」鬼が嶋の〈五種+α〉神宝
38 都議補選(島嶼部)の開票結果と普天間の問題
39 村有地に建つ青ヶ島の神社
40 青ヶ島が奪われる?
41
34  〈シマ・ウッナー〉カイエ(2)
2008.08.01
 
●「沖縄とアイヌ」という位相
 共産同叛旗派・三上治氏の『1970年代論』(批評社、2004年)によれば、「沖縄もアイヌも東北文化も古い」(p.140)ということになる。
 何に対しての「もっと古い」のか、といえば、三上氏言うところの、たかが「千数百年の時間」しか持たない「天皇制」に対して、である。
 ちなみに、一般的に「沖縄もアイヌも」という語が使われるとき、三上氏だけでなく、沖縄とアイヌは縄文文化の直系であって他(日本本土)は違う、というほとんど信仰に近い暗黙の了解を前提にしている。その遥かな〈縄文〉の時間軸に対して、たかが「千数百年の時間」ということになる。したがって、ここで神武紀元を提示しても、今年はたかが「2668年」ではないかといわれてしまいそうだ。『竹内文書』などの超古代史文献がその間隙を突いて跋扈するのも、時間軸ばかりに目がとらわれているからである。
 たしかに、東北文化、あるいは、蝦夷の文化は「古い」といえるが、沖縄もアイヌも厳密に歴史性を問うならば、せいぜい鎌倉期以降である。
 三上氏は言う。「日本人の国家意識を起源のところから解体する政治戦略は、沖縄やアイヌや東北という地域文化や個別文化をそのまま日本列島の文化(日本の文化)として、天皇という共同意識から切り離してしまうことだ。」(前掲書、p.191)
 この三上氏の視座は、赤坂憲雄氏あたりと比べると、はるかに質が高い。さすが、吉本隆明氏の影響を強く受けているだけのことはある。
 しかし、ここで一度、沖縄という共同幻想、アイヌという共同幻想も解体してみなければならないだろう。そうしないと、三上氏が対峙したいと思っている〈天皇制〉の本質も視えてこないのではないか。もちろん、南島やシマも視えてこない。

●〈青ヶ島〉に象徴される位相
 ここで、突然、青ヶ島のようなシマが一般的な〈南島論〉者たちの視座から欠落するのか、という理由がわかった。というよりも、以前から感じていたことが、より鮮明になったのだ。
 青ヶ島の歴史は、どんなに遡っても、室町時代である。『八丈島小島青ヶ島年代記』によれば、文明7年(1475)である。もちろん、それ以前から人が住んでいたことは推定できるし、『保元物語』などを参考に、もう少し想像の翼を拡げれば、保元の乱(1156)で一躍名を馳せた為朝の頃まで遡ることも可能だ。
 しかし、天皇制の時間と比べると、青ヶ島なんか(いわゆる日本の離島)じゃ、太刀打ちはできないよ、と思われてしまっているのだ。
 つまり、日本の離島を無視する南島論者というのは、もちろん例外もいるけれど、文化を把握する能力があまりないのだ。
 歴史という時間軸で厳格に捉えると、沖縄もアイヌも鎌倉以降なのだ。ヤマトゥーの平安時代というヤマト王権の〈古代〉残滓の〈解体〉過程の中で、ウッナーの〈萌芽〉が始まり、室町時代の戦国期の影響でウッナーの〈輪郭〉が具体化した、と捉えたほうがよいだろう。もちろん、そこに東アジア史を重ねてもよい。
 八丈島の歴史性は青ヶ島よりも「もっと古い」が、沖縄やアイヌに目を向ける人も八丈島にはあまり関心を持たない。極端にいえば、沖縄もアイヌも五十歩百歩なのだ。そして、もっと古い〈シマ〉はたくさんあるのだ。
 文化という概念で捉えれば、たしかに沖縄もアイヌも「もっと古い」かどうかはわからないが、相当に「古い」といえる。もちろん、同じことは青ヶ島などについてもいえる。青ヶ島という〈八丈文化圏〉(おそらく沖縄やアイヌに匹敵する)で唯一生き残った祭祀空間に伝承されてきた青ヶ島の祭りは、100パーセント固有の独自文化ではないけれど、その歴史的=地理的空間はもっと広く大きなものなのだ。

●沖縄とアイヌという言い方
 「沖縄とアイヌ」と一口で言うが、沖縄は〈地域名〉であり、一方のアイヌはいちおう〈民族名〉である。つまり、違う概念の名称を併記するのは誤解の基になりかねない。正しくは、ウッナーとアイヌモシリ、ウッナーンチュとアイヌと言わなければならない。ただし、〈沖縄〉を沖縄文化、〈アイヌ〉をアイヌ文化の義で用いているのなら、同じ概念の上ということになる。三上氏は「東北文化」を併記しているので「沖縄」も「アイヌ」も文化概念で使用していることがわかる。

●いわゆる〈神話〉の時代
 よく言われることだが、〈沖縄〉や〈アイヌ〉では、ヤマトゥーの江戸時代まで〈神話〉の時代が続いていた。いいかえれば、それまで〈古代〉が持続していた、ということに他ならない。〈古代精神〉が躍動していたわけである。その意味で、〈古代〉が長く続いていた、ということでは〈古い〉という言い方も可能なのかもしれない。
 ただし、その場合、〈マルクス-吉本〉流概念の〈アジア的〉を、いわゆる〈古代性〉一般と結びつけていいのか、という問題も生じる。
ましてや、吉本はそうではないが、〈古代性〉を「古いもの」、「遅れたもの」として切り捨てるのは論外である。
ちなみに、シマではごく最近まで神話の時代が続いていた、と思われる。

●『しま』214号の拙稿
 日本離島センター刊行の『しま』214号の拙稿を見ることができます。わたしの〈シマ‐クニ〉という概念を知っていただくため、ぜひ、つぎのURLの『しま』の表紙の下の目次をクリックして、ご覧ください。http://www.nijinet.or.jp/shima.html

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