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41 〈シマ・ウッナー〉カイエ(3) |
2010.06.07
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島尾敏雄のヤポネシア。1961年、『新日本文学』への連載評論「名瀬だより」の中で、このコトバを初めて使った、といわれている。ラテン語の日本を意味するJaponicaに群島の義の接尾語nesiaを付けたものである。‘70年代に入ってジャーナリズムや学問の世界でも盛んに使われるようになり、民宿の名称にも使われるなど広く普及した。
ところが不思議なことに、この語は今なお『広辞苑』には登録されていない。いわゆる既成の「日本」観を打破する概念として、思想的にも大きな影響を与えたにもかかわらず、である。こういうコトバに敏感なはずの岩波書店は、このヤポネシアというコトバを採用しない。なぜか。
おそらく、ヤポネシアというコトバを好んで使う人は、いわゆる〈日本〉解体の思想的指標として使っているもの、と思われる。ところが、さすがに岩波書店は『広辞苑』的に読みが深い。ヤポネシアは単に「日本列島」を意味するコトバでしかないことを百も承知しているのだ。
当然のことながら、ヤポネシアという概念では「日本」を解体するには不充分である、と考えているのである。おそらく岩波書店は、琉球弧だけを特別視し、日本列島との対比は「日本」という文化概念に取り込まれる危険性がある、と思っているのであろう。おそらく、思想的には「南島」主義者の系譜に位地しているのであろう。
そこで、ヤポネシアを使いたくない連中は、「琉球弧」とか「リュウキュウネシア」というコトバを使いたがる。ちなみに、彼らが「沖縄」でなく「琉球」を使う根拠は、「沖縄」という語が本来、沖縄本島の一部地域を指す名称に過ぎないからである。しかし、普通のウッナーンチュは、ミャーク(宮古)や、ヤエマー(八重山)も含めての「沖縄」である。ところが、「琉球」という語は、実は、漢民族による「支那」領としての地域概念なのである。
一見、定着したかのように見える「ヤポネシア」だが、言論界を牛耳る岩波・朝日の「琉球」派の前で、風前の灯なのかもしれない。「日本」どころか「沖縄」であってもいけない、と思っているのであろう。「日本」を解体し、「日本」を無化するためには、「ヤポネシア」だと「日本」に取り込まれ、その結果、「日本」という霊性に気付く契機になることを危惧しているのである。
そのためには、「支那」におぼえめでたい「琉球」であらねばならない、というのであろうか。大琉球(沖縄)も小琉球(台湾)も中国領土の一部というのが、ヤポネシアという語の定着化への、抵抗勢力側の最後の砦となっているのかもしれない。
南島主義者たちは、南北に長く連なる弧状列島の中に、ウッナーの文化と通底するような“ヤポネシア”が存在することを認めたくない、という政治的イデオロギーを持っている。「琉球弧」を除く弧状列島の中に「琉球弧」と同じような文化があってはいけないのである。文化の基層部に共通する“文化”の存在を指摘することは、柳田國男の、そして、天皇制の呪縛に陥ると、おそらく思われているのである。
その表象的なコトバが“ヤポネシア”である。本来、脱ニッポンというか、東アジアという共通の地理的‐歴史的空間の視座から弧状列島全体の文化を見直そうとした“ヤポネシア”という概念は、“日本”を東アジアからも疎外させようとする思惟から葬り去られようとしているといえるのかもしれない。
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