目 次
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21 フーテンの寅さん所縁の柴又は、正倉院御物「養老五年(721)下総国葛餝郡  大嶋郷戸籍」の「嶋俣里」に発します
22 島を意味する諸言語の表
23 少子化・人口減の原因は市町村合併による村潰し・島潰しにあり
24 オロロン鳥は悲しく啼き、そして浅之助は…!
25 政治の季節と地方という霊性 ーもちろん島からの視点ー
26 <硫黄島>の呼称変更への疑義
27 野本三吉著『海と島の思想―琉球弧45島フィールドノート』(現代書館、2007年)を読んで
28 再び「佐々木卯之助砲術稽古場」について
29 再び川崎市・市ノ坪の「鬼ヶ島」について
30 〈島〉という聖域が危うくされている
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26  〈硫黄島〉の呼称変更への疑義
2007.06.28
 
 6月18日、国土地理院は、小笠原の硫黄島の呼称を、「いおうじま」から「いおうとう」へ変更した、と発表した。その事実は全国各紙でほぼ一斉に報道されたが、6月19日付『産経新聞』は、次のように要領よくまとめている。

「国土地理院は18日、東京都小笠原村の硫黄島の呼称を「いおうじま」から「いおうとう」に変更したと発表した。旧島民が「いおうとう」と呼んでいたことから、小笠原村から同院に地名修正の要望があり、同院と海上保安庁海洋情報部の「地名等の統一に関する連絡協議会」が同日、変更を決めた。
 北硫黄島も「きたいおうとう」、南硫黄島は「みなみいおうとう」に変更された。
 同院は2万5000分の1の地形図「硫黄島」のふりがなを「いおうとう」に変更し、九月1日に刊行する。」

 ここで疑問に思うのは、新聞が指摘する[旧島民」が現在の小笠原村の、どの島の旧島民か、という問題である。現在の小笠原村の父島や母島に住む硫黄島の旧島民は、ひじょうに数が少ないはずである。おそらく両手と両足の指で足りるのではないかと思われる。タイム・マシーンに乗って強制疎開前の「硫黄島」へ出かけて全戸調査でもしてみなければ真実はわからないはずである。
 わたしは「いおうじま」というのは「硫黄島」という島の固有名詞であり、「いおうとう」というのは「硫黄島」(中硫黄島ともいう)・「北硫黄島」・「南硫黄島」の総称だと思ってきた。その「いおうとう」でさえも、厳密に言えば「いおうじま」が正しく、「いおうとう」は通称名である、と思ってきた。しかし、今日の小笠原村の圧倒的多数の新住民は、そう考えてはいないらしい。これは驚きである。これは脅威である。悲しいことに、危機意識に欠けた認識である。
 瀬戸内海の因島(いんのしま)の島民や、その周辺の住民は、因島のことを「イントー」と呼ぶ。もちろん、これはあくまでも通称名である。通り名である。本名ではない。すなわち、旧でなく現島民が「イントー」と呼んでいる島は「いんのしま」のことである。だからといって因島の呼称を「イントー」に変更してくれ、などとは誰も考えない。
 また、佐渡では、本土の人間が日本一大きい島である佐渡のことを「日本海に浮かぶ小さな島・佐渡ヶ島」などと、その離島性をことさらに強調するものの言い方に対して、ちょっとおどけて「わがサドトーでは…」というような言い方をする。ちなみに、『延喜式』では、佐渡は「北陸道」に属する「佐渡國」である。ただし、離島振興法の指定対象地域名としては「佐渡島」となっており、これを「さどがしま」と訓ませている。わたしは「さどのしま」と訓むべきだと思っている。
 戦前、「硫黄島」に住んでいた人が「いおうとう」と呼んだり、北硫黄島や南硫黄島の島民が硫黄三島を総称して「いおうとう」と呼んだことは十分にありえる、と思っている。もちろん、わたしはそのことを非難しない。しかし、だからといって、旧島民が「いおうとう」と呼んだことのほうが正しい、とは絶対に言えないと思っている。
 現在、正式呼称として「トウ」を使用している島は、北海道の礼文・利尻・焼尻・天売・奥尻などと、北方領土の島々である。礼文のレプンシリ、利尻のリイシリ、焼尻のヤンゲシリ、奥尻のイクシュンシリなど「シリ」にアイヌ語のシマの義があるので重複を避けるため「トウ」を使用したと思われる。通称は「トウ」も良いが、北方領土を含め、日本の島はすべてシマあるいはジマに統一すべきと思う。ちなみに、『延喜式』によれば、南海道の淡路島は「淡路國」であり、西海道(九州)の壱岐・対馬は「壹岐嶋(いきのしま)」、「對馬嶋(つしまのしま)」である。すなわち、対馬に関しては、その語源がツシマ(津・島)なので、対馬島というとシマが重複することになる。
 「いおうじま」の「いおうとう」への変更に関し、6月22日付け『産経新聞』は「ローマ字表記が頼りの米国では、同じ漢字でも呼称の変更は地名そのものが変わるに等しいため」困惑していると伝えている。ちなみに、米バージニア州アーリントン国立墓地の海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)の表記では[Iwo Jima]である。それは戦前の旧海軍が作成した海図のローマ字表記を踏襲したもので、今回の「変更」はアメリカ側に対する「旧島民」の反米的“愛国心”から発したものではない。
 たしか6月25日(月)のテレ朝のスクランブルだったと思うが、「この問題をずっと追ってきた」と紹介されて、デーブ・スペクター氏が電話出演し、今回の「変更」を全面支持し、「もともとの呼び名に変えたのだから、よいのではないですか」というようなことをコメントしていた。だが、硫黄島の場合、旧称の復活ではないのである。
 ところで、わが国の近隣には、日本の古代文化は、「みんな自分たちが教えたものだ」と主張する誇り高き民族がいる。それなのに、彼らはチェジュンドだとかウルルンドだとかドクトなどと「ド」や「ト」を使う。この「ド」や「ト」は漢字音由来の語で、もちろん支那語のタオ(島)からきている。つまり、「ド」や「ト」は「島」を意味するコトバである。
 じつは、彼らの言語にも、日本の大和言葉に対応する「島」を意味する言葉がある。数年前、その国の大学の行政学の教授を定年退職したばかりの同い年の人(彼は日本語をぜんぜん解しない)と、わたしのひじょうに乏しい英語力と、今では能力的にゼロに等しくなってしまった(昭和45〜46年にかけて週二回、3ヶ月勉強したのみ)、その国の言葉を駆使して雑談したが、彼は島を意味する[ショム]という言葉をまったく知らなかった。わたしがハングルで[ショム]と書くと、彼は正しく発音したがその意味を知らなかった。ハングルで[ド]と書き、イコールで結ぶと、彼はビックリしていた。
 否、彼だけではないのである。わが隣国の誇り高き民族は「ショム」という語を、辞書から追放しているのだ。彼らにとって[ショム]は死語であり、古語(とくに詩文)をやっている人だけが雅語としての[ショム]を知っているだけなのだ。どこが誇り高き民族なのか、彼らには「正しい歴史認識」を持ってもらいたいと思っているが、[ショム]を追放して漢字音ばかりになびく民族の誇りなんて欺瞞そのものでしかない。
 「いおうじま」を追放して「いおうとう」を採用することは、じつに、彼らと精神構造的に同じである。ベーブ・スペクターの言葉を受けて、誰だったかが「その土地の、もともとの呼び方に戻すことはよいことです」というようなことを言っていたが、それならば、ぜひ小豆島(しょうどしま)を「アヅキシマ」の呼称に戻す運動を始めてもらいたい。
 じつは、わたしは元来、ずぼらな性格で、畏れながら天照皇大神宮を「テンショウコウタイジングウ」と音読みしようが、「アマテラススメオホミカミノミヤ」と訓もうと、どちらでも良いと思っている。昭和26年、小学校に入学したとき、担任の先生が人の名前や神様の名前を、どう読んでいいのか、わからないときは、音読みしても失礼に当たらない、と習っていらい、それを深く肝に銘じているからだ。しかし、島の正式名称だけは漢字音ではなく、日本古来の表記を使いたいと思っている。
 青ヶ島は「あおがしま」であって「あおがとう」ではないし、利島は「としま」であって「ととう」ではないように…。ただし、鹿児島県のトカラ列島の十島村(としまむら)の旧称の通称は「じっとう」ソンである。もちろん、十島村に属する島々は今も昔も「とう」ではなく「しま」あるいは「じま」を名乗っている。
 もし小笠原で硫黄島のことを「いおうとう」と呼んでいたとするのなら、父島は「ちちじま」ではなく「ちちとう」とか「ふとう」、母島は「ははとう」「ぼとう」、兄や姉や弟…等々の島々も同様に「とう」と呼んでいたのであろうか。呼称の変更は「偏向」以外のなにものでもない。
 小笠原村の村議会議員および、呼称変更を認めた国土地理院と海上保安庁海洋情報部の猛省を促したい。海洋基本法が成立して、この体たらくである。おそらく呼称変更主義者は沖ノ鳥島を「おきのとりしま」ではなく「おきのとりとう」と呼びたいのであろうか。沖ノ鳥島、危うし!

 
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