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24 オロロン鳥は悲しく啼き、そして浅之助は…! |
2006.08.01
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日本郵政公社は6月28日、「集配拠点、郵便貯金、簡易生命保険の外務営業拠点の再編について」と題する記者発表を行なった。これは平成19年10月に予定されている公社の民営化・分社化に伴なう枠組みの大きな変化に対処するもの。現在、全国には4,696の集配局があるが、その22.3%に当たる1,048局が廃止されるという。とくに、孤立型の離島における唯一の集配局が廃止される場合は、《郵便的不安》が深刻化する。
よく言われることだが、小泉改革の本丸は郵政改革である。その郵政改革だけで昨年の衆院選に圧倒的勝利をした小泉内閣は、それを目に見える形で提示する必要性が出てくる。当然、いわゆる小泉チルドレンの選挙区では、郵政改革の先進地帯として作用しなければならなくなる。
たとえば、北海道苫前郡羽幌町に属する天売島と焼尻島がそうだ。両島の集配局は平成19年3月で廃止されて「窓口業務のみ行う郵便局」へと改編される。もちろん、両島は小泉チルドレンの選挙区で、衆議院選挙の北海道10区である。そして、ここの小泉チルドレンは、何んと青ヶ島関係者である。かのホリエモンの自民党本部での立候補会見で影が薄れてしまったが、同時に行なわれた自民党の第3次公認の発表会見の当日の朝までは青ヶ島村教育委員会教育長だった女性がそうである。
選挙の結果としては、彼女は選挙区では第3位だったが、重複立候補した比例区の北海道選挙区では自民党の第1位であり、当然のことながら比例復活当選をした。ただし、選挙戦が始まった時点では、落下傘候補であり、しかも自民党の公認候補の中では公明党の推薦を得られなかった全国3人の1人ということもあって、法定得票数(供託物没収点)に達せず、比例1位にもかかわらず落選する可能性も危惧されていた候補だったのである。しかし、開票すると、供託物没収点のほぼ2倍の得票で見事、劣勢を撥ね返して当選を果たした。
ちなみに、民主党の前職(前回は比例復活)が1位(109,422票;68.55%=パーセンテージは本人得票のうち都市部の割合)、郵政造反派の無所属前職が第2位(78,604票;60.71%)、自民党公認の「刺客」の彼女が第3位(62,100票;71.85%)、共産党新人が第4位(17,617票;74.58%)だった。羽幌町に限ると、民前2,060票、無前2,533票、自新1,151票、共新153票だった。すなわち、地方紙に「南の島から舞い降りた」と形容された彼女は、市部ではかなり健闘したものの、町村部ではあまり振るわなかったということになる。
じつは、彼女の立候補は一日遅れで知人に指摘されて初めて知った。家庭の事情でテレビなんぞ観る暇がなかったのだ。そして、そのことを知ったわたしは正直言って驚愕し、つぎの瞬間、当惑した。しかし、青ヶ島村の特別職の先輩として、全国の離島の応援団の一人として、恥ずかしくない得票を出してもらいたいと念じた。そして、テレビで「当確」のテロップが流れた時点で選挙事務所へ当選祝のFAXを送った。さらに、その数日後、お祝いと期待とお願いと苦言を兼ねてWordで3ページ(40字×36行×3ページ)の文章を用意したが、2ヵ月後には発表することなく削除した。
話はそれたが、とにかく天売島と焼尻島ではオロロン鳥が寂しく悲しく啼く状況になっている。それなら青ヶ島はどうなのか、と思われるだろう。もちろん、青ヶ島も同じ憂き目なのである。落下傘で降り立つ前にいた離島にも、同様の措置がされなければ、ある意味では不公平である。小泉改革の論理と倫理からして、当然、集配業務は廃止されなければならない。さらに、同じ伊豆諸島“弱小3兄弟”の離島、すなわち利島、御蔵島も同じい状態に置かれるであろうことが予想できる。実際そうであり、そして悲しいことに、小笠原も弱小3兄弟と同じく平成19年3月に集配業務が廃止されることになっている。
日本郵政公社のHPによれば、「無集配化は、配達等を受け持つ郵便局の変更です。」とある。たしかに、天売・焼尻両島の場合は「羽幌局」が、伊豆諸島“弱小3兄弟”・小笠原の場合は「新東京」局が受け持つことが明記されている。しかし、都内にある新東京局の郵便配達夫が、利島・御蔵島・青ヶ島・父島・母島へ配達に来るとはもちろん考えられない。もし、そんなことをしたら人件費と経費の浪費であり、まさに小泉改革に逆行する。当然、業務委託されるのである。
昨年3月、福岡県宗像市へ合併した大島(旧宗像郡大島村)の場合、連絡船のある神湊局が担当することになっているが、大島港−神湊港は1日に7〜8便(往復)が運航されているので、おそらく無理をすれば、神湊局の郵便配達夫が集配することは可能だ。それというのも、本土からそう遠くなく1日に何十便もある離島では、定期船に赤いバイクや赤の軽自動車に乗った郵便局の人をしばしば見かけるからである。
しかし、伊豆諸島“弱小3兄弟”では最低でも1泊(あるいはヘリコプターに乗る)しなければならないし、小笠原では1週間を覚悟しなければならない。にもかかわらず、「無集配化は、配達等を受け持つ郵便局の変更です」と書くのである。民営化すれば、少しぐらいの詐欺師的言辞は許されるというのであろうか。
もちろん、北海道の天売・焼尻、東京都の伊豆諸島“弱小3兄弟”、小笠原、福岡県宗像市の大島とくれば、当然のことながら、鹿児島県のトカラ列島の十島村の島々も想起される。現時点(平成18年7月31日)で集配局のある口之島・中之島・宝島の3島も平成19年2月にはめでたくも悲しく集配業務が廃止される。
集配業務が廃止されて地元に民間委託されれば、新しい雇用が生まれるだろう、という人がいるかもしれない。たしかに、そうである。実際、青ヶ島では、利島や御蔵島や小笠原ですでに集配業務が行なわれているとき、たんなる特定郵便局であり、「でいらほん通信拾遺 第25話:郵便物を出すときの不安について」でも書いたように、船がやってくるときだけ郵便局の制帽を被り牛の背に郵袋を乗せて配達する人がいたのである。ある意味では、牧歌的だったその時代に戻るわけで、しかし、当時はそれだけでは食えなかったかもしれないが、時代が変化した今日ではそこそこの収入が得られるかもしれない。
しかし、集配業務の廃止は次なる「改革」の引き金の可能性になるかもしれないのだ。何しろ小泉さんは“聖域なき改革”を標榜しているからだ。わたしの考えでは、聖域とは大八島国そのものである。すなわち、島国日本そのものが、じつは聖域なのだ。そして、島国日本の象徴の一つが青ヶ島なのである。(なお、集配業務がなくなると困る実例を、九月の『島風とシマ神』か『でいらほん通信拾遺』で体験的に書きたいと思っている。)
自民党の北海道比例区の第1位となった女性が、もし利島村や御蔵島村の、あるいは鹿児島県十島村の教育長だったとして、自民党の公募に応募したら採用されたであろうか、というのが離島ギョーカイの公約数的実感だった。昭和30年代までは、トカラの三島村や十島村と同じく、青ヶ島はまさに「忘れられた島」であった。しかし、故・奥山治氏が村長になってからの青ヶ島は、離島行政の象徴的存在へ躍り出たと言っても過言ではない。それも天明の大噴火で100名以上の犠牲者を出して無人島になり、八丈島で流人以下の耐乏生活を送り、何度も何度も破船しながら還住・起し返しをしたという、名主・佐々木次郎太夫を中心に結束した先人たちの血と汗の涙ぐましい歴史があったからだ。そして、そのことに感情移入した近藤富蔵(1805〜87)、江川太郎左衛門英龍(1801〜55)、志賀重昂(1863〜1927)、柳田國男(1875〜1962)らがその還住の偉業を高く評価したからである。
小泉チルドレン入りした前教育長が、教育長なのに学校のプールを掃除したことを高く高く評価している新聞紙もあったが、プールだけでなくトイレ掃除をした教育長もいたし、学校の便所汲みを専門的にされた教頭もおられた。一般職だったが、もっともっと苦難の体験をした女性職員もいた。
話がまたそれた。聖域としてのシマは、折口信夫が『古代研究(民俗学篇2)』の中で「島は、自分(天皇)が持っている国、治めている国という意味だったが、だんだん、普通に使われるようになったものであろう。これに対して、国は天皇に半分従属し、半分独立しているところであった」と述べているが、折口信夫に従えば島は聖域中の聖域なのである。しかし、女帝の継承を認めようとした聖域なき破壊的丸投げ改革者の小泉さんは、あらゆる聖域を壊したいのであろう。その論理を徹底すれば、おそらく、SCAPIN677(わがHPの『島風とシマ神』の「一覧」の5,6…等々を見よ!)に指摘された島々―すなわち北方領土・沖縄・奄美・トカラの下七島(現十島村)・小笠原・伊豆諸島・竹島などの島々―の全てをアメリカ、ロシア、中国、韓国に譲渡しても構わない、ということになるだろう。
わたしは怒っている。天売島の絶滅危惧種のウミガラス(オロロン鳥)はオロロン・オロロンとただ悲しく啼くだけかもしれないが、わたしのオボシナサマの東台所神社の祭神の1柱の浅之助は、霊験あらたかな祟神(御霊)である。1島1集配局の廃止は、論理的にはそこまで含んでいるのである。話が飛び飛びになって申し訳ない。
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