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23 少子化・人口減の原因は市町村合併による村潰し・島潰しにあり |
2006.06.18
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2050年には年間出生数は現在の4割に相当する43万人へ、と大幅に減少してしまうという。もちろん、そのころにはいわゆる“団塊の世代”も消滅してしまうから、年金の話どころじゃない。日本が成立しなくなってくる可能性もある。どうして、そうなってしまったのか。
答えは簡単である。明治以降、国家官僚と政治家がこぞって“村潰し”を行なってきたからだ。じつは、“村潰し”には“少子化・人口減”という意味があったのだが、馬鹿どもはそのことに気付かず“村潰し”を推進してきたからだ。住民たちも国家官僚や政治家にマインド・コントロールされて、合併しながら「村→町→市」と名称を変えていくことがあたかも“発展”であるかのように思わされてきたからだ。
本来、市・町・村の中で、人口が最も多いのは“村”である。なぜなら、ムラ(村)の語源はムレ(群れ)である。人がたくさん住んでいるから“村”なのである。マチ(町)はそのムラの中でやや集中的に、そして区割りされた場所を指すコトバだった。つまり、「ムラ⊃マチ」なのである。
というよりも、コトバの発生学という視点からみれば、“マチ”は“市(イチ)”と密接な関係にある。すなわち、“市”という言葉は、“村”の外れに時々、イチがたったことから生じた。イチの語源はイツク(斎く)で、イツクとは神をまつることである。霊能力のある人に神霊がヰ(居)ツク(憑く)場所が、神が留まる場所としての“居付く”ニハ(庭)になったのである。
つまり、イチ(市)が立つのは、本来、年に数回だったわけである。ふだんはただの野原なのだ。そこの市(イチ)の神の声を聞く場所として建てられたのが、じつは、“待ち”である。そして、そこに数軒集まったのがマチとしての“街”であり、これがやがて“町”になっていく。しかし、市の多くはふだんは神の祠とかヤシロ(屋の代としての磐座など)があるくらいで、じつは、何もなかったのである。
つまり、村を潰して「村→町→市」へと《発展》させていこうとすることは、極端にいえば、「人口よ、少なくなれ」「日本国よ、つぶれろ!」という呪詞の《言挙げ》なのである。けれども、少なくとも本来のマチ(町)・イチ(市)には、神祭りの契機があった。しかし、現在は“神抜き”である。もちろん、わたしがここでいう神とは、いわゆる神道の神のことではない。もっと広い概念の自然環境を含めた“カミ”である。「村→町→市」への志向は、じつは、日本潰しの宣言である。日本の政治家どもは、ああ悲しいかな、そういうことを知らないのである。知ろうとしないのである。
わたしに言わせれば、日本の政治権力の中枢にいる連中(与党だけでなく野党も含めた国会議員全体)が“カミ抜き”思考にマインド・コントロールされているのは、明治期の“外圧”の影響だ。そして、“村潰し”の思考回路の根底には“島潰し”がある。民俗学者・国文学者の折口信夫(1887〜1953)はシマの原義を「島は、自分が持っている国、治めている国という意味だったのが、だんだん、ふつうに使われるようになったものであろう」(『古代研究(民俗学扁2)』)と述べている。この場合の「自分」は天皇を受けているが、わたしはシマとはその土地の皇神(すめがみ:その地域で最も神威のある神)の威力が及ぶ範囲の土地と考えている。
とうぜん、島はシマの象徴なのである。そして、シマはムラ・マチ・イチの象徴なのである。いいかえれば、日本国土の象徴が“島”なのである。その意味で、全国最小村の東京都青ヶ島村はシマとしての日本国土の象徴的存在といっても過言ではない。
尖閣諸島や、竹島の問題は、村潰しと島潰しの思考回路の中から生じてきたものだ。シマという言葉を発しただけで、お前は島国根性の持ち主だとか、もっとインターナショナルな、グローバルな視点を持たないといけない…などと、わたしはかねがね言われてきた。しかし、シマの視点ほど、グローバルでインターナショナルな視座はないのである。ところがマインド・コントロールされた連中は、自らの《島国根性》を棚に上げて、寄ってたかって島と村を《ポア》しようとしてきたのである。少子化・人口減の要因は、じつに、そこに帰していたのである。
わたしは、日本国土の象徴的存在としての青ヶ島村だけは、絶対に、合併させず、どんなことがあっても、村を維持させるべきだと考えている。かつて八丈小島の宇津木村は議会を設置せず、選挙権を有する村民の大会を議決機関とする直接民主制の唯一の地方自治体だったが、いろいろな手段をこうじても青ヶ島は《村》を残すべきと考えている。日本を潰したい人、全世界の少数民族や、危機言語、貴重な文化…等々を潰したい人は、どうぞ、青ヶ島村を潰してください。
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