|
第27話 双丹姓の謎と青ヶ島の「でいらほん流」神道 |
2005.06.28
|
|
かつて青ヶ島に双丹(そうたん)という姓を持つ家が1軒だけ在った。しかし、明治の中頃には、どこかへ転出してしまったらしく、その血筋をひいていると思われる人も、今は青ヶ島に住んでいないようである。というよりも、青ヶ島では双丹という名字は、まったく忘れられてしまっているのだ。
この双丹姓は、江戸時代の青ヶ島には、存在しなかった姓である。すなわち、明治の国民皆姓のとき、青ヶ島に出現した姓である。おそらく、全国的に見ても、奇姓に入るのではないかと思う。
ふつう、地名と名字は密接な関係がある、といわれている。たしかに、『八丈実記』の青ヶ島の巻を探すと、「サウタン」という地名が出てくる。また、場所は特定できないが、島の人に聞くと、「ソウタンボラサワ」というのがあるという。ちなみに、わたしは、このソウタンボラサワは、東台所(とうだいしょ)神社の下あたりの地名ではないかと推測している。
八丈島や青ヶ島には、「何々」ボラという地名が点在している。その多くはサワと結合して複合名詞を形成しているが、ボラだけの場合もある。ボラ(ホラ)は漢字で書くと「洞」で、ホラは「掘る」という動詞が名詞化したものである。すなわち、大雨で深く抉られた地形がホラ(ボラ)である。雨が降らないと、普段は水のない沢がじつはボラサワ(洞・沢)なのである。
おそらく、サウタンというのも同様で、サウはサワ(沢)で、タンはタニ(谷)ではあるまいか。つまり、サウタンとは「沢谷」の義であろう。ただし、サウタンのほうが、ボラサワに比べると、少し水気があるような気がする。おそらく、天明の大噴火のとき地勢が変わってしまったのであろう。いずれにせよ、サウタンもボラサワもほとんど同義であると考えてもよい。
双丹という姓は、おそらく、このサウタン、あるいは、ソウタンボラサワから発していると思われる。もし、そうであるならば、「沢谷」という漢字でなく、なぜ「双丹」のほうを選んだのであろうか。以下は、まったくの、わたしの想像である。
青ヶ島の祭祀組織は、神主・卜部・社人(舎人)・巫女から成立しているが、明治時代の中頃まで「博士」というのがあった。このハカセというのは、いわゆる陰陽博士(おんみょうはかせ)のことである。じつは、わたしは、双丹家が青ヶ島における陰陽道を司る家ではなかったか、と想像しているのである。
その根拠としては、青ヶ島に伝わる神仏習合の神道である。わたしは、最初、青ヶ島の信仰は修験道の影響が強いと考えてきたが、最近は、修験道よりも陰陽道のほうが大きかったのではないかと思っている。それというのも、わたしの師でもあった卜部の故・廣江次平さん伝承の文献や、次平翁が時折見せた呪法の仕種(手振り・身振り)を総合的に判断すると、修験道よりも陰陽道だった可能性のほうが強いのではないか、と想われるからだ。その意味では、わたしは、いままで青ヶ島の神道のことを、《でいらほん神道》と呼んできたが、国の重要無形民俗文化財に指定されている土佐の「いざなぎ流」の民間陰陽道にならって《でいらほん流》神道と名付けたい。
もちろん、双丹の「双」は、陰陽道の陰‐陽の双(組=ペアーの義)であろう。また、「丹」は道教の丹(水銀=臍下丹田・丹田呼吸法の丹田の丹)である。つまり、双丹家が青ヶ島の陰陽師だったとすると、これほど相応しい姓はないのである。
青ヶ島の消えてしまった双丹姓が、地名のサウタンに由来するのか、それとも陰陽師だったことからきているのか、あるいは両方の事情から発しているのか、わからないけれど、極めて陰陽道色が濃いと思われる青ヶ島の《でいらほん流》神道の存在を考えると、双丹家が島の陰陽師の家として青ヶ島の習合神道の成立に深く関係したのではないか、と考えられる。
|
|