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第23話 青ヶ島はユニハである。 |
2004.07.01
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まずは、一般論から始めたい。斎場・斎庭と書いて「ゆにわ」と訓む。ユは「お湯」のユで、ニワは正しくはニハ(場、庭)である。ユは現代人の感覚では「暖かい水」の義だが、実際は「清浄なる水」のことである。すなわち、禊に使う、聖なる水がユなのである。
ここからイツク(斎く)の義を持つユ(斎)の意味が生じてくる。いっぽう、ニハのニは「にこやか」や「にぎやか」のニ、ハは「張り」のハであろう。あるいは、ニは土地・根・野…等々を意味するニで、ハのほうは場の義であろうか。いずれにせよ、ユニハとは、神を祀る清浄な土地という意味になる。ちなみに、広辞苑によれば、「ゆにわ(斎場・斎庭)」とは「(1)広い場所。物事を行う場所 (2)邸内または階前の、農地に使う空地 (3)草木を植え築山・泉池などを設けて、観賞・逍遥などをする所。庭園…(以下略)」と出てくる。
ところで、青ヶ島でニハという場合、主として(2)の義で使われている。すなわち、ヤシキ(屋敷)の敷地内のハタケの義である。いわゆる一種の家庭菜園である。
さて、これからが本題である。かつて青ヶ島は《牛とカンモと神々の島》といわれるほど、人口よりも牛や神々の数のほうが多かった。もちろん、これは一種の比喩であり、たしかに牛の場合、人口よりも多かった時代もあったようだが、神様の場合、島じゅうの至る所で神々が祀られているということを、ややオーヴァーに表現したものである。
じつは、青ヶ島の神々の正確な数はわからないのが実情だ。なぜなら、定義一つで大きく揺れ動いてしまうからである。そして、忘れられる神がある一方で、新たに祀られる神もあるからだ。それにしても、人口の数ぐらいある、というのも、決して否定できない数字なのだ。
だいたい、イシバの数自体がわからないのである。しかし、それでも、おそらく50箇所ぐらいはあるだろうと思われる。そこに、複数の神々が祀られているから、現人口の200名を超える可能性は大いにある。そして、わたしが神社の祭りに奉仕していたころは、大里神社の祭礼のときには人口よりはるかに多い三百振りの御幣を切って、大里神社の「下のイシバ」と「上のイシバ」に所狭しと挿し込んだものである。
いずれにせよ、青ヶ島のいたるところに、神々が祀られている、といっても過言ではない。いいかえれば、青ヶ島じゅうがユニハなのである。島の全部が神々が斎き坐します聖なる庭なのである。まさに、《牛とカンモと神々の島》なのである。少なくとも、《神々の島》という事実は動かない。
そして、ここで注意しなければならないのは、ユニハは同時にニハでもあるという事実である。神々が斎き坐しますイシバのユニハへ通じる道々には、明日葉(アシタバ)が生え、また季節によって桑の実、タラノメ、アビ、ノブキ、ツワブキ…等々を採取することができる。すなわち、神々の屋敷の敷地の中のハタケとしてのニハなのである。
わたしは、この神々のハタケとしてのユニハという事実を、大事にしなければならないと思っている。というのも、わたしが頻繁に訪れてその道すがらアシタバを積んだ道はかなりの風雨に遭っても何でもないのに、ほとんど出向かないところではちょっとしたことですぐ崩れたりするからである。なぜか誰も参拝しないようになると、崩れ易くなるようなのである。ニハでも、ユニハでもなくなるのである。第二次在島時代は第一次のように祭りに直接参加して奉仕することはできなかったが、青ヶ島のユニハとしてのイシバにはしばしば出かけた。そして、島じゅうの至る所がユニハであることを実感した。
いま、わたしは、青ヶ島のそのユニハが次第にユニハでなくなっていくことを、最も怖れている。
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