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第25話 郵便物を出すときの不安について。 |
2004.09.11
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フランスのジャック・デリダの哲学を自家薬籠中の物とした若い哲学者の東浩紀に『郵便的不安たち』(朝日新聞社、1999年)という著書がある。しかし、ここでは、文字どおりの、郵便を出すときの、わたし自身が経験した不安である。すなわち、これをいつ出したら、ちゃんと着くだろうか、という〈地下鉄漫才〉よりも深刻な不安である。もちろん、これは30年前の話である。しかし、10数年前も、ときどきは同様の不安を持たざるを得なかった。
最初は、そう気にも留めず、郵便局前の郵便ポストに投函していた。もちろん、船が来ないかぎり、郵便物は島の外へ出て行かない。風次第、波次第、要するに天候次第ということは理解していた。しかし、どんなに海が鏡のように凪(なぎ)ていても、船が来ないこと場合もあるのだ、ということをすぐ体験した。
当時の東海汽船の配船の歯車がちょっと狂っただけで、船は来ないのである。たとえば、船が八丈島へ来ているときは大時化となり、利島や御蔵島への配船もあるので、そう長く凪待ちをさせることができない。船が東京へ戻ると、海が凪だして、八丈島へ来ると時化(しけ)始める、という悪循環にしばしば陥った。東京からやって来た郵便物は、八丈島で停泊中は船の中で眠ったままなのだ。ちなみに、船が東京へ戻ってしまうときは、八丈島の郵便局に下ろされて、次便を待つのである。
とうぜん、船が出なければ、郵便物は出せない。こうして、三週間ぐらい船の出入りがないと、青ヶ島で船待ちしている人も八丈島で待っている人も我慢できなくなってくることがある。そうすると、誰かが個人的に漁船をチャーターすることがある。その漁船で出島する人に、八丈島なり東京で投函してもらうのである。そのためには、郵便物をポストに投函しないで、ぎりぎりまで手元に置いておかなければならない。
役場にいると、そうした情報が入りやすいが、役場の誰も知らず、島民のほとんども知らないのに、漁船がやってきてお客を乗せて出航するということもあった。ただし、冬場には、波が高くて、漁船のチャーターもままならないことのほうが多かった。とうぜん、船が長く来ないと、米や、学校給食用の物資や、乳児の粉ミルクがなくなってしまう。そういうときは、緊急へりが飛んだ。また、重病・重症の患者が出れば、救急ヘリが飛ぶ。もちろん、そうしたときも、郵便物を託すことがある。
要するに、早く相手に着くよう、いつも気を張っていなければならない。天気予報図からいって、明日は確実に、船が来るという日の夕方、投函しても不安感は残る。というのも、朝になって急に天候が悪化し、船は来たものの、一艀をやっただけでお客と郵便物は降ろせたが、こちらからは何も出せずに船が逃げ帰ってしまう、ということもあったからである。そうなると、郵便物は郵袋の中である。たまたま、出し忘れたことで、逆に相手には早く着くということもあるわけだ。
しかし、相手には、こうした苦労が伝わらない。東京都内の消印が押されていることから、「東京へ来ているんなら、電話して顔を出してよ」などと言われてしまう。それどころか、わたし自身が半年ほど気づかなかったことだが、青ヶ島郵便局の郵便ポストに投函する手紙や葉書の消印は、みな八丈島の中之郷郵便局のものだったのである。実際、親しい友人から「八丈島で投函しないで、青ヶ島で投函してよ。青ヶ島の消印の葉書がほしいのだから」と言われたことがある。
じつは、青ヶ島の郵便局は、今はそうではないが、当時は特定郵便局であり、集配局ではなかったのである。そのため、当然のことながら、青ヶ島から出される郵便には、青ヶ島の消印はなかったのである。そのことから、「〆切当日の消印があるものは有効」というような懸賞などには応募できなかった。もちろん、当時の状態では、たとえ集配局であっても、〆切から1週間も10日も、あるいは、それ以上が経過しておれば、たとえ締切当日の消印があっても無効になっていたであろう。
ちなみに、郵便の配達業務は、菊池義武さんが八丈島の郵便局から委託されて行っていた。艀作業が終わると、船から降ろされた郵袋は義武さんの家に運ばれ、家族総出で仕分けられたあと、義武さんによって各家庭に配達された。学校や、役場などには、大きな郵袋が牛の背に乗せられて運ばれてきたが、配達のときは帽子だけは郵便局員の格好をしていた。
役場へ運ばれる郵袋は、多いときには10個以上もあった。そして、その中には、役場職員の個人宛の郵便物も含まれていた。さらに、宛名が不確かなものも、役場宛の郵袋に入れられていた。役場は何でも知っているだろう、というわけである。
ときには、「青ヶ島 ヒロエさま」と書かれた手紙もあった。青ヶ島の人は、島の中では、原則的に姓を名乗らず、名前を名乗るから、それはヒロエという名の女性であるかもしれない。しかし、青ヶ島には、廣江姓はたくさんあるが、ヒロエという名の女性はいない。手紙を出した人がヒロエを女性の名前と勘違いした可能性もあるが、いちおう、廣江姓の人すべてが該当者ということになる。差出人から該当者を特定できる場合もあるが、そういうことはあまりない。そこで、信書の秘密を侵して開封し、その内容から判断する事になる。たいていは、その内容から該当者を特定することができるが、ときどき、まったく、わからないときもある。該当者を絞って直接、聞いてみても、結局はわからず仕舞だったこともある。廣江のほか、ただ佐々木、菊池の姓だけ書いてあると、それが誰宛なのか、を少々、不安な気持で、そしてノゾキ趣味的な気分で調べるのも役場の仕事だった。
(次号に続く)
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