目 次
40
41 〈シマ・ウッナー〉カイエ(3)
42 尖閣諸島の周辺は波高し?
43 東京都心の埋没した“沖島”地名
44 認識及び思考の対象の枠外に置かれがちの伊豆諸島という存在
―青ヶ島を侮ること勿れ!―
45 地震以後、感じたことなぞ…
46 人口ゼロの自治体で選挙はできるのか?
47 「島」認定の沖ノ鳥島の影の功労者
48 「東洋」と「東海」
49 ムラと村−原子力ムラというときのムラの響き−
50 ロレンス・ダレル(1912~1990)の多島海的な心象風景について-h.20n. 1gt.頃のノートから
49 ムラと村−原子力ムラというときのムラの響きー
2013.08.01
 

 「原子力ムラ」。この言葉が発せられるとき、そこには言い様もない憤りがある。そのときのムラという語には、何か人間を突き放したときのような、軽蔑したときのような冷たい響きさえある。そこからこのムラの原義の村までもが蔑称へと転化していく。
 民俗学や歴史学では、ムラという語は「自然村」を意味する。一般的には、明治22年の「市制・町村制」施行以前の「村」、つまり明治維新以前の「村」を意味する。明治22年以降だと、この旧「村」は「町村制」の中では、ほぼ「大字」に該当する。東京、否、江戸の場合だと、たとえば『新編武蔵風土記稿』を見ると、「町」や「市(イチ)」はこの「村」の中に存在している。
 ところが、明治22年以降になると、いわゆる地方自治体は村からの脱却を目指すようになる。戦後はその傾向に拍車がかかり、村であることが恥ずかしいことであるかのように洗脳されていく。さらに、村が合併して設立された町も、発展から足踏みした存在であるかのように思われて、こぞって市を志向するようになっていく。
 その市ですら、政令指定都市という、それより遙か上位の存在を羨ましく感じるようになっていく。最近では、政令指定都市が所属する府県を逆に吸収して都を目指す動きも出てきた。もしかすると、町も市も消滅し、都ばかりなってしまい、それではきめ細かな行政ができないというので、都の中には特別区がつくられる・・・。(元の木阿弥)
 現在、村のない県は栃木・石川・福井・静岡・三重・滋賀・兵庫・広島・山口・香川・愛媛・佐賀・長崎の13県である。これらの県の県民に中には、自分たちの県には村がないと自慢する者もいるという。東京なんか都を名乗っていても、村が幾つもあるではないか、と考えているらしい。ちなみに、村のある都道府県10傑は次のとおり。
1、長野県  35村
2、北海道  15村
2、福島県  15村
4、奈良県  12村
5、青森県   8村
5、群馬県   8村
5、東京都   8村
5、熊本県   8村
9、山梨県   6村
9、高知県   6村
 すなわち、全国1,719市町村中、市は789(45.9%)、町は746(43.3%)、村は184(10.7%)である。まさに、村は風前の灯である。なお、東京都の村は西多摩郡檜原村と伊豆諸島の利島村・新島村・神津島村・三宅村・御蔵島村・青ヶ島村と小笠原諸島の小笠原村である。もちろん、青ヶ島村が全国最小村である。
 そうした中での〈村〉である。そういうとき発せられるムラには、差別的な響きが生じる。原子力ムラ、永田町及びその周辺に巣食う妖怪どもが棲むムラ(ただし彼らの用語だと村内=ムラウチ。若干、自己卑下というか自虐観がある)は、その典型かもしれない。一時期、マスコミの注目を浴びた“年越派遣村”の場合には清濁合わさった、あるいは聖なるものと賤なるものが合わさった語感がある。ただし、この場合には「ムラ」ではなく「村」が使われていた。
 戦後、右や左の旦那様方や、その日刊の機関誌はこぞって村やムラを卑下するようになった。村に留まっていることがあたかも犯罪であるかのように表現する。1971〜74年と1990〜93年の2度、人口200人以下の度し難いほどの全国最小村に住んだことがある僕としては、ムラというコトバが発せられるとき、そこには限りなく差別的な語感を感じてしまう。ムラは、否、村は廃止されなければならない存在なのか。
 地方の原点としてのムラ=村は存在を許されないのだろうか。日本国ぢゅう「市」にならなければならないのか。ムラ=村は復活してはいけないのか。もちろん、ムラの上に「原子力」が冠せられるほうの存在が大手を振って歩くのは御免蒙りたいと思っている。
 >>HOMEへ