2012
 
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ことのあとさきのこと(h.24n. 6gt.〜)
2012.07.03
      
6月1日(金)
 桜美林大学オープンカレッジ春期講座「カバネとウヂの名」の4回目。淵野辺駅に早く着いたので、近くの鹿沼公園へ。ダイダラボッチ伝説の池があった。講座終了後、受講生2名に誘われてお茶を飲む。その間、ずっと激しい雷雨。帰宅途中、東急池上線「旗ノ台」駅で電車を待っているとき、ドカンと震度3。このため数分間、電車が出発できず。
6月2日(土)…少し風邪気味。午後5時半、外出。高円寺で古本屋数件をのぞいたあと、Filingの会場へ。ぼくを講師とする隔月開催の勉強会。きょうは「伊勢神宮の成立と斎宮」について話す。ところが、この日は今まで一番の少人数。主宰者の松本ひろみ女史から来年の対馬・雷神社の「亀卜神事」を拝観したい、と相談される。

6月3日(日)
 毎年恒例の千葉大のレジュメづくり(ただし、昨年の手直し)。

6月4日(月)
 毎週、火曜日と木曜日の朝、通園介助をしているが、きょうは臨時に手伝う。

6月5日(火)
 午前2時、37.8℃。実に、10数年ぶりの高熱。にもかかわらず、朝、体温を測ったら、36.5℃になっていたので、マスクをして朝の介助に出かける。帰宅後、午前11時まで仮眠。午後1時少し前、蒲田まで歩いて西千葉へ。千葉大学で今年で16回目の「青ヶ島の神々と祭り」(16:10〜17:40)の講義。過去16回のうち、やはり風邪の影響か、今回が一番不出来だった。終了後、金田章宏教授の研究室の左隣のマーチン・ホウダ教授の部屋で酒盛り。午後11過ぎ帰宅。

6月6日(水)
 寛仁親王殿下が薨去。ショックである。昔、学習院大学へ通っているころ、ぼくは品川駅で京浜東北線から山手線に乗り換えていたが、宮様は目黒駅から乗ってきた。ぼくが眠っていると、彼はぼくの前に立ち、ぼくの足の先を蹴飛ばした。「ミ・カ・サ…」の「ミ」と言いかけると、彼は人さし指を唇にあてたあと、「俺は一時間目は何々先生だが、君のほうは…」という具合で話し掛けてくれた。名前を名乗ることは厳禁だったのだ。なぜか電車の中で出くわすことが多かった。

6月7日(木)
 午後、赤坂御用地内の寛仁親王殿下邸へ記帳に出かける。入口のところで、皇宮警察官からよく聞き取れなかったが何事か言われる。「一般です」と答えて一般記帳所へ向かう。「トモさん」を偲び、忍び手を打ち、御魂の幸の多からむことを祈る。多くの人が次から次へ記帳に来ていた。寛仁親王殿下の人徳(うつくしび)である。そのあと、元「新宗教新聞」編集長だった廣橋隆さんがやっている、近くの宗教通信社へ寄る。さらに、永田町の日本離島センターへも顔を出し、『しま』230号の拙稿の校正。

6月8日(金)
 桜美林PFCでの「カバネとウヂの名」最終回(5日目)終了。受講生から秋期講座も何かやってください、と激励される。今回の講座は自分としては結構、うまくやれたが、初日の5月11日、東急田園都市線「市が尾」駅で人身事故があり、いつもなら開始45分前には駅に着いているのに、2分ほど遅刻をしてしまった。そのために、より余裕を持って出かけたため、何となく手持ち無沙汰になってしまった。

6月11日(月)
 創土社から上梓する予定の『青ヶ島の神々』(仮題。ぼく自身は『青ヶ島でいらほん流神道の星座』を提案)の索引のキーワードを打ち込む作業。これには結構、手間取ってしまった。

6月15日(金)
 午前10時15分ごろ、我家の上空をヘリが「侵犯」。そのとたん、最後まで逃げまわっていたオウム1羽が捕獲されたな、と感じた。そこで、慌ててテレビを付けると、思ったとおりのテロップが流れていた。そのあと、すぐヘリは4機に増えて、我家の上空周辺を舞々。まさに、五月蠅状態。

6月18日(月)
 『青ヶ島の神々』の「追い書き」を始める。まだ体調が本調子にならない。
6月19日(火)…午後6時半から芝の某所で大矢内氏、T氏、H氏らと懇談。台風4号の接近で帰りはびしょ濡れ。離島振興法が明日あたりに成立することを知る。

6月20日(水)
 桜美林大学オープンカレッジ秋期講座のシラバスを作成。「コトのハ(端・葉)の言霊―言葉の中の玄妙を探る―」(10/19〜11/16、毎金1:00〜2:30pm)を予定。
 この日、改正離島振興法(離島振興法の一部を改正する法律)が参議院本会議で可決、成立した。離島振興法は昭和28年、10年の時限立法として制定されて以来、10年ごとに延長・改正されてきた。来年3月31日で期限が切れることになっていたが、これで、あと10年間は延長されることになる。実は、国会における政党間の“ゆらぎ”現象で、いつ成立するのか、危惧されていたのが、五月中旬ごろから話が進展し始め、結局、10年前より1ヵ月以上も早い成立となった。関係者に深く感謝したい。

6月21日(金)
 正午、新宿・小田急百貨店12F鮨処「福助」で知人と寿司。帰宅後、改正離島振興法の成立にご尽力いただいた八人の衆参両議員に、青ヶ島の絵葉書を使って礼状を出す。

6月22日(土)…体調悪し。

6月26日(水)…「追い書き」了。

6月28日(木)
 午後、原宿へ。神宮前2-21-15のGALLERY HIPPOで開催中(6/21〜7/1)の「大島の夏 本多保志作品展」を見に行く。本多保志さん(伊豆大島在島40年)と1時間ぐらい雑談。何と彼にあったのは平成になってから初めて。そのあと、日本離島センターへ寄り、午後6時半から星陵会館の「森の会」(廣橋隆氏主宰)に出席。

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1  辰(龍)年の寿歌(ほぎうた) 2012.01.01
       
龍・辰 あがれ
 天まで揚がれ

発つ・起つ あがれ
 それ 出発だ

立つ・建つ あがれ
 それ 復興だ

辰年は禍事(まがごと)を絶つ年である

龍 あがれ オホヤシマ國!

 平成24年元旦   とほかみ ゑみため 拍手 菅田正昭 拝

【平成23年の全仕事】(ただし、平成23年12月31日までに発表したもの)


[単行本]
単著『出口王仁三郎の大予言』学研パブリッシング 2011年12月27日
共著 あるくみるきく双書『宮本常一とあるいた昭和の日本(12) 関東甲信越(2)』…回想 の青ヶ島(青ヶ島の神々―スミヨシ様考/青ヶ島の誘い/著者あとがき) 2011年4月 農山漁村文化協会

[論文・エッセー]
 《離島》関係
  ヲナリの比禮振り、ヲウナの布晒        『しま』224号 平成23年1月
  オウ〈au=aw〉島から粟島へ          『しま』225号 平成23年4月
  〈なゐふる〉から〈なゐ〉へ           『しま』226号 平成23年7月
  〈地震・津波・噴火〉離島関係災害史年表     『しま』227号 平成23年10月
 《民俗学・宗教学》関係
  金烏玉菟は太陽と月の異称 転じて天皇皇后両陛下の意 『世界日報』平成23年1月1日号
  川崎市宮前区馬絹の小字“矢中”の神社    『神社と実務』十号 平成23年2月
 [連載]スガタ式「言霊学=民俗学的《語源》事典 第2回(お〜く)」
                       『現代宗教評論』第5号 2011年7月
 ウケモチ―死して食物の起源となった神の実像は―    『歴史読本』2011年11月号
 淡路島のユダヤ人遺跡                   『ムー』2011年11月号
 東日本大震災を100年前に予言していた謎の行者 権現仙人  『ムー』2012年1月号
 日本の神さまのルーツと由来              『歴史読本』2012年2月号

[講義・講演]
 千葉大学「青ヶ島の神々と祭り」…6月7日(平成9年から毎年1回)
 桜美林大学オープンカレッジ
   古代スメラミコトの光と影(1)〜(5)…5/6、5/13、5/20、5/27、6/4
   《国土生み》神話と大八島国の生成…6/23
   女神の系譜と女帝たち(1〜(5))…10/7、10/14、10/21、10/24、11/4
 森の会「近代日本のかむながらの道―神様は神様でよかんのう―」…1月2日
 FILING(松本ひろみ女史主宰)「記紀神話及び神道の話」etc…1/22、4/16、6/18、9/17、11/19、11/23

[出演]
 FMうらやす「ミギオのびば! 楽屋噺」(友人・右尾祐佑さんの番組)…2/3 22:00〜22:30放送


毎年、年の始に、今年こそ季刊『菅田』を実現したいと思うのですが、平成23年は年末に『出口王仁三郎の大予言』を上梓することができ、駆け込みで年刊『菅田』を辛うじて達成することができました。ことしこそ、せめて半年刊以上を実現したいと思います。
昨年は左膝を痛め、9月中旬からは手作りの杖を持って走っています。2日間、まったく歩けない状態でした。なにせ無料健康診断にも行かないので(したがって自分の血圧も知りません。医者嫌いというわけではありません!)原因は不明ですが、自転車には乗れるので、池上から日本離島センターのある永田町ぐらいなら1時間で行きます。

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