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6 ようやく地デジ化、でも日刊新聞の購入を中止!
         ―市町村に所属しない「南方4島」と「地図に名前が無い島・岩」―
2011.07.01

6月6日(月)…夕方、銀座6丁目のギャラリー新居東京店で開催中の第6回日本写真家ユニオン『オリジナルプリント展』(6/3〜15)を観に行く。友人の芥川仁さんの作品が展示されているからである。ちなみに、彼はかつて伊豆大島の間伏の住人で、現在は宮崎市に住み、山田養蜂場の季刊新聞『リトルへブン』の編集を手がけるほか、最近では国際的に活躍している。社会的テーマを対象としても、自然や、いわゆる過疎地の民俗を俎上にしたときでも、彼の芸術的リリシズムの目には一貫性がある。芥川さんへメールをしたら、青ヶ島の民謡について取材したいと言って来たので、“黒鳩”を推薦した。
6月7日(火)…午前中、日本離島センターの三木さんから『しま』の拙稿のゲラが添付メールで送られてくる。現在、コピー機が壊れたままなので郵送をお願いする。正午すぎ自宅を出て西千葉へ。午後1時40分ごろ、千葉大の金田章宏教授(日本語学)の研究室へ。2時半から4時まで、「青ヶ島の神々と祭り」の講義というか、話をする。今年で何と15回目になる。終了後、金田先生、民俗学の和田健准教授らと青酎・泡盛・クサヤ…等々で盛り上がる。11時半ごろ帰宅。
●この日の『産経新聞』の「東京特派員」欄に湯浅博という記者が書いた「南方4島はアホウドリの地」という記事が掲載された。この4島とは青ヶ島以南、小笠原以北に点在する「鳥島・須美寿島・嬬婦(そうふ)岩・ベヨーネーズ列岩」のことで、同記事によれば、「今をさかのぼる30年ほど前」、八丈町と青ヶ島村との間で「領有権」争いがあったことを記している。正しくは平成2年11月の「事件」であり、「4島」の順番も東京に近いほう(すなわち、八丈島、青ヶ島)から「ベヨーネーズ列岩・須美寿島・鳥島・嬬婦岩」の順番で記すべきである。日本の離島は原則的に必ず、どこかの自治体(市町村)に属していなければならないが、これら4島は「東京都八丈支庁管内」ということになっている。ちなみに、この問題について、わたしは1991年4月号『歴史読本』に、わたしは「海上の島をめぐる領土紛争 青ヶ島vs八丈島」を発表している。読みたい方は、御連絡を!
●さらに、同じ日の各紙には「地図に名前が無い島・岩についての調査」に関する、次のような記事が載った。
 「枝野官房長官は6日の参院決算委員会で、自民党の山谷えり子議員の質問にたいし、地図に名前が載っていない島や岩について、『しっかりと名前をつけて、我が国の領土であることを様々な意味で明確にすることが重要だ』と述べ、国土地理院にたいし、地元の調査を進めるなどの、島名の記載を急ぐよう指示する考えを示した。」(YOMIURI ONLINEなど)
 実は、このような「地図に名前が無い島・岩」の中には、複数の名前を持っている場合がある。そのシマが視える地域の違いによって、同じシマがそれぞれ別の名称を持っていることがある。つまり、「調整」できずに放置され、なかには忘れられてしまったものもあるようである。
6月13日(月)…桜美林大学オープンカレッジ市民講座「〈国土(くに)生み〉神話と大八島国の生成」(6月23日)のレジュメを作る。Wordで3ページとなった。午後4時、新橋のSL前で、日新報道顧問の剣持さんと待ち合わせをし、喫茶店で「三鳥派」などについて話した後、少し飲む。
6月15日(水)…朝、産経新聞の訃報欄で、日蓮宗僧侶で宗教評論家の丸山照雄さん(79歳)が前日亡くなったことを知る。
6月16日(木)…丸照さんのお通夜の会場になっている池上の本行寺(大坊)へ午後4時ごろ行く。早く出かけたのは、その夜、行われる《森の会》の廣橋さんとの打ち合わせ(?)のため。しかし、諸関係の中で、丸山さんのお通夜の受付を手伝うことになる。
6月18日(土)…午後7時から9時まで阿佐ヶ谷地域センターで、Filing主催の勉強会で「青ヶ島」の話(主として神事について)をする。新宿から阿佐ヶ谷へ引越しした大矢内生気さんも聴きに来てくれる。
6月21日(火)…新宿で知人と食事をしたあと、永田町へ出て、日本離島センターへ。桜美林の市民講座で使うパンフレット『日本の島々が果たす役割』を40部頂戴し、そのあと『しま』編集長の三木さんと打ち合わせ。
6月22日(水)…正午前、自転車に乗って五反田へ。学研『ムー』編集部の三上編集長と打ち合わせ。
6月23日(木)…毎週、火・水・木の午前8時台は知人経営のNPOで知的障害者の通園介助をしているが、終了後すぐ東急・池上駅へ走り、8時48分の五反田行きに乗る。旗の台・二子玉川・長津田で乗り換えて淵野辺へ。駅横のPFCからスクールバスに乗って桜美林大学町田キャンパスへ。予定より早い10時10分ごろには着いてしまった。10時30分から正午までサレンバーガー館で島の話。タイトルは〈シマ神〉っぽいが、実際の内容は〈島風〉的だ。
6月24日(金)…小笠原、世界自然遺産に登録決定。
6月27日(月)…桜美林大学オープンカレッジ「文化・教養講座」の秋期講座の「女神(めのかみ;にょしん)の系譜と女帝たち―女ならでは夜も明けぬ国を繋いできたヒメたちのハタラキ―」(10/7〜11/4毎週金曜日13:00〜14:30)のシラバスを作って提出。
 飛び込みの桜美林「市民講座」で頂戴した講師料(税込23,000円)に少し追加して地デジ対応のテレビ(非メーカー品)をようやく買う。ところが数局がどうしても入らない。懇意にしている電気店主にアンテナ線を張り替えてもらうなどしたが、東京MXだけは入らない。デラックス・マツコが出ている「5時に夢中」はもう当分は観られない。
6月30日(木)…ここ五年ぐらい『産経新聞』を購読してきたが、わが家計の緊縮財政の影響で、最も安価な同紙も今日が最後。7月1日からはインターネットの無料サイトだけだ。女房や子どもは医者に行くが、僕自身は行くことができない。「浄霊=手かざし」系の知人は「病院なんか行っちゃあ駄目ですよ」と言うが、そういうことを言う人よりも僕自身は、医者にはかかっていない。毎年、大田区から無料検診の案内が来るが、もちろん、7年以上も一度も出かけていない。まあ、そこそこ元気ではあるし、交通費の節約のため、自転車で遠出もするが、多分、普通の人では歩けない状態だ。

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ことのあとさきのこと(h.23n. 5gt. 4nt.〜6gt. 3nt.)

5月4日(水)…家永三郎著『津田左右吉の思想史的研究』(岩波書店、昭和47年)読了。池上図書館のリサイクル本。東京帝大卒の、東京専門学校(早稲田大学の前身)卒の「在野」的な津田氏よりもはるかにアカデミシャンであり、かつ国民精神文化研究所に籍を置いていたこともある、という点では、家永氏がファシストとして忌み嫌う蓑田胸喜氏よりも、津田氏の「反天皇制的本質」を鋭く捉えていたはずである。戦後、家永氏が転向すると、津田氏が逆に天皇制護持主義者となり、戦前の津田氏の学問的位相の継承者のように振舞うことになった家永氏の、津田氏へのルサチマンから本書が執筆されたように思えてきた。
5月5日(木)…西門民江『峠の道―部落に生きて―』(草土文化、1980年第4刷)読了。最初、タイトルを見て、信州のあたりの峠かと思ったが、舞台は大和郡山市だった。依然、偶然、その近くを通ったことがあり、ああ、あの辺りかとおもった。


5月6日(金)…桜美林大学オープンカレッジ2011春期講座(教養講座)の「古代スメラミコトの光と影」(全5回)の第1日目が始まる。申込者は1人増えて受講者11名でスタート。
 作家の団鬼六氏(79歳)逝去。三宅島流人で神道家の井上正鐵の御神縁で、もう30年ぐらい前のことになるが、多分、同氏には2度ほどお会いしたことがある。団氏の御魂の幸の多からむことを祈りたい。


5月9日(月)…小泉信三著『社會思想史研究』(和木書店、昭和22年4月15日刊)を、慶應義塾大学三田メディアセンターへ宅急便(着払い)で贈呈する。ちなみに、この本は、10数年前(15年は経過しているはず)、蒲田で拾ったもの。古本そのものには、そう価値はないものとおもわれるが、本には「謹呈 斉藤茂吉様 小泉信三」とのブルーブラックインクでの署名があり、さらに、小泉信三の名刺が挟んであって、そこには「御外遊中の御歌集は贈与□□(2字判読不能)雨読仕ん(つかえまつらん?)」との添え書きがある。また、名刺の住所は「東京市品川区北品川三ノ三二三」の「市」以下を傍線で消して「(東京)都港区三田一ノ三五」とある。この署名と名刺の2点で、慶大にとっては文化財的価値が生ずるであろうと思って贈呈したのである。

5月11日(火)…日本海庄や新宿西口店で大矢内氏、O氏、I氏と昼食を兼ねて懇談。そのあと永田町の日本離島センターへ立ち寄る。

5月12日(水)…ここ数年、毎週火・水・木の午前8時台の30分間、次男坊がお世話になっている福祉系NPOのホームヘルパーとして通園介助をしているが、それに出かけようとしているとき、我が家の前に住む奥さんが「多分、おたくの猫ちゃんだと思うのですが、死に掛けています…」と駆け込んできた。帰宅後の午前9時少し前わが家で「対面」したが、まさに虫の息の状態だった。手足が伸びきっていて、遅くても、あと2〜3時間で死ぬだろうと思われたが、「彼」はその後12時間以上も頑張って、名前を呼ぶと体をピクッと反応させて午後9時45分ごろ亡くなった。
 5年前の梅雨の真っ最中、隣家の庭で仔猫が2日間鳴いていた。わが家のほうへ来るよう呼びかけたが、その後、どこかへ消えて死んでしまったのかと思われた。梅雨の明けた7月中旬ごろ、わが家の外階段と隣家との間の塀と同じ高さの物置のところに、1匹のちょっと可愛めの、でもガリガリに痩せた黒白猫が座っていた。我が家には猫の餌なんて置いていなかったが、鰹節や煮干、それから猫が食べそうな物をお皿に入れて持っていった。すると何と2匹に増えていたのである。最初の1匹は餌を見るなり嬉しくて人払いのフー。そこでその猫は「フウちゃん」と名付けた(メス猫だった)。もう1匹はもっと痩せていた、その餌も食べられないほど衰弱していた。そこで牛乳をやった。よく見ると、左目が右目の半分ぐらいの大きさで時々目やにが出た。そして唇も切れていた。その猫には「ウインク」と名付けた。こちらは雄猫だった。2匹はそれ以来、その場所に住み着いてしまった。
  2匹は塀の上を馬跳びをして走り、フウちゃんが木蓮の葉を放り投げては飛びつく仕種をすると、運動能力などで劣っているウインクも真似ていました。ところが、その年の11月の初めの深夜、フウちゃんはネズミを追いかけて道路に飛び出し、車に轢かれて死んでしまいました。実は、それまでウインクは泣いたことがありませんでしたが、フウちゃんを捜して泣き始めました。2匹の話は、否、ウインクだけでも何冊も童話がかけるくらいです。
  そのウインクが推定5年1ヵ月で死んだわけです。3歳のとき、どこかの雄猫とけんかをしたらしく、左耳が齧られ、尻尾からしばしば血が垂れる状態になりました。1歳半ごろから年に3回ほど3日〜1週間ほど行方不明になりましたが、基本的には外階段の物置の上に置いた猫小屋(拾ってきた犬小屋)の住人でした。しかし、昨年7月ごろから、サンカクハナグロと名付けた雄猫が深夜、毎日襲撃に来るようになり、8月の終わり行方不明となり、10月中旬、わが家から数百メートル離れた公園で生存を確認したものの、帰宅しない状態が続き、暮れになって時々餌を食べに来るようになりました。今年に入ってその頻度がやや増え、あの大震災のときは前日から3日間、小屋に引き籠もっていました。その後、以前のウインクになりましたが、4月中旬、1週間ほど居なくなり、28日に戻ってきてからは、なぜか5月11日にウインクは死ぬのだと直感しました。そして、1日遅れで死にました。
  この日、貧乏アイドルとしてブレークしていた上原美優(24歳)が自殺。種子島の出身ということで秘かに応援していたのに残念。


5月13日(金)…ウインクを庭に埋めた後、淵野辺の桜美林大学PFC(2回目)へ出かけようとしているところに、学研から『ムー』6月号が届く。本号にはわたしの「知られざる『亀卜』神事」が掲載されている。


5月15日(日)…大森の古本屋で100円で買った、ジョルジュ・ソレル著、木下半治訳『暴力論(上)』(岩文)読了。
5月16日(月)…午後5時、新橋駅SL前で元・青ヶ島村職員で沖ノ鳥島に関する特許を持っている星野明宏さんと待ち合わせをし、知人を訪ねる。


5月17日(火)…『神社と実務』誌のため、「川崎市高津区の千年神社の霊性の風土」を書く。Wordで4ページと24行。2日間で書いてしまった。この日、桜美林大学の鈴木繁雄教授から6月23日午前の市民講座の代講の依頼がある。受諾する。
  俳優でパネルクイズ「アタック25」の名司会者として知られる児玉清(77歳)氏が逝去。ぼくが青ヶ島村の助役していた平成3年11月8日、東京都提供のNTVのテレビ番組「スペシャルとうきょう」の取材で児玉さんが来島され、1泊(たしか「あじさい荘」だったと思う)され、いろいろ話したことを思い出す。そして、番組のため、島を案内して歩いたことも思い出す。ちなみに、この番組は同年12月14日(土)午後4時〜5時に放送された。わが大学の先輩でもある児玉清さんの御魂の幸の多からむことを祈る。


5月18日(水)…夜、新橋で大学のずっと後輩になる天目石要一郎さん(前武蔵村山市議)、加藤健さん(保守系ロビー活動家)と飲む。


5月20日(金)…桜美林PFC(3回目)。ソレル『暴力論(下)』読了。実は、40年前ぐらいに一度読んだことがあったが、すっかり内容を忘れていた。


5月26日(木)…自転車で永田町の日本離島センターへ行き、『しま』編集長の三木さんと打ち合わせ。昼食をおごってもらう。帰路、港区三田1丁目の元神明宮を参拝。「市民講座」“〈国土(くに)生み〉神話と大八島国の生成”(6月23日午前10時30分〜正午まで:桜美林大学町田キャンパス・サレンバーガー館1301教室)のシラバスを作成して送る。


5月27日(金)…桜美林PFC(4回目)。梅原猛『歓喜する円空』(新潮社、2006年)読了。


5月29日(土)…次男坊が寝静まってから『しま』の原稿を始める。頼禧一編『日本の近世(13)儒学・国学・洋学』(中央公論社、1993年)読了。池図のリサイクル本。安藤昌益に関する論考がわたしの考えに近いところもあり面白かった。昌益の「直耕」という概念は尊いが、最初から「直耕」の枠外に置かれている人々や、芸能・文化の担い手、障害者にたいして、安藤昌益が思いやりを持っていないこと。また、世間からは反宗教の唱道者と思われているが、実際はカルトの教祖的一面があったことなど…。


5月31日(火)…『しま』原稿「〈なゐふる〉から〈なゐ〉へ―揺らぐクニ修理固成するためのシマの復権―」を書き終わる。Wordで5ページ半。総務省自治行政局選挙課へ「人口ゼロの自治体で選挙が可能か」について電話する。桜美林オープンカレッジの担当講座の第5回目のレジュメを送る。毎回wordで2ページ分を作ってきたが、これがなかなか大変だった。

6月1日(水)…6月7日(火)の千葉大の授業のレジュメ(昨年のを手直し)を金田章宏先生へ添付メールで送る。


6月2日(木)…朝尾直弘編『日本の近世(7)身分と格式』(中央公論社、1992年)読了。これも池図のリサイクル本。全編とても興味深く面白く読めた。


6月3日(金)…桜美林PFCでのわたしの講座「古代スメラミコトの光と影」の最終回。帰宅後、どんと疲れが出る。

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4 3月11日とそれ以降の日々

 3月11日(金)…毎週金曜日は、知的障害(強度行動障害)の次男坊が馬込のケアーホームから帰宅する日である。午前中、布団を干し、掃除をしたり、その他、いろいろ準備をし、午後2時以降、次男坊がいつ帰宅してもいいようにと待っていた。そのちょっと前、メールを開くと、かなりの迷惑メールがあり、削除済みアイテムのメールを削除するつもりが、なぜか操作を誤って受信トレイ、送信済みアイテムのメールのすべてを、“自己責任”で削除してしまったのである。自分としてはひじょうに大切なメールもそこには数通あり、実は、その時点で、アタマの中が白くなっていた。
 次男坊は午後2時40分ごろ、“お伴”3人を引き連れて、いつものように外階段をバンバン音を立てながら駆け上ってきた。そして、ここで、実は、2年ほど前から、いろいろの事情があって、安全のため服を脱ぎパンツ一丁になるのである。わたしが家の中で待ち構えている。ヘルパーが鍵を開けて次男坊が家に入ると、いつもならトイレに駆け込み、パンツを脱いでそれを便器に放り込み、呪文と共に勢いよく流す(回収する仕掛けがある)のだが、その日はテレビの前に座り込んで流しに行こうとしない。そこに、あの大地震がやってくるのである。
 次男坊にはその時点でヘルパー2名が付いていて、次の仕事の場所へ移動するのだが、午後2時46分ごろから始まった大地震のため「待機」となった。というよりも、実のところは、動けなかったのである。わたし自身は過去、数回「震度5弱」を体験しているが、5弱と5強の違いは想像以上だった。揺れは収まるどころか大きく強く長かった。次男坊は「放送大学」を見ていたのだが、リモコンを取り上げて「NHK総合」にした。「東北地方 震度7」…。
 東北はどうなってしまったのか。消えてしまったかのように、一瞬、感じた。次男坊が帰ってくる直前から「開かずの間」にさせている部屋から音が漏れてくる。大変な事態になった、というよりも、大変なことが起きつつあることが聞えてくる。ヘルパーに次男坊が動かないようにしてもらって、「開かずの間」の鍵を開ける。ラジオがひっくり返り、そこに本が落ちてスイッチが入ったらしい。ピタゴラスイッチのようなプロセスを経て、ラジオが鳴り出したらしい。
 どのくらいが経過したのか、次男坊がトイレへ行く。もちろん、トイレにも鍵をかけているのである。トイレの鍵を開け、4人で「個室」に入り、次男坊がパンツを便器に放り込んで流そうとしたが、なぜか流れない。というよりも、タンクの中の水は空っぽになっていて、しかも便器の「穴」にも水がなかったのである。その代わり、床が水浸しになっていた。本当なら、こうしたことが起きると、「大騒動」が生じるのだが、この大地震に怖気づいたのであろうか、このときは〈問題行動〉を回避できた。このあとのことはここでは省略するが、次男坊周辺の福祉業界では〈大震災〉を契機として副次的な問題がいろいろ生じた。そして、被災地の福祉関係はどうなるのか、おぼろげながらも、“想定外の想定”は予想できた。

 3月21日(月)…午前11時からの檀那寺の春のお彼岸の法要会に出席する。この大震災で出席者が減ったかと思ったら、逆に平年より若干多い感じだった。震災で亡くなられた人への供養もあって、いつもより長めだった。本当はこの数日後には父の17回忌をしなければならないのだが、悲しいことに不如意。その代わり、いつもなら「先祖代々」の塔婆1本だけだが、父と母の分を含めて3本にしてお墓にお詫びしてくる。

 3月22日(火)…ゆう貯保険の解約手続きをする。

 3月23日(水)…千葉大から今年も非常勤講師の委嘱状が届く。平成9年から始まった普遍教育「伊豆諸島の文化と自然」も今年で何と15回(15年)。わたしが担当する「青ヶ島の神々と祭り」は6月7日(火)午後2時30分〜4時と決まった。本当なら、非常勤でも「定年」なのだが生き延びさせていただいている。
3月24日(木)…この3月31日で(財)日本離島センター及び全国離島振興協議会を定年を2年延長して退職する大矢内氏から電話があり、この4月から立ち上げる予定の《離島政策文化フォーラム》の共同座長になってほしい旨の要請がある。もう40年近くの付き合いにもなるので受諾。

 3月29日(火)…午後1時半ごろ、大城通りの浅野屋で「豆かん」を買ってから、自転車で永田町の日本離島センターへ出かけ、1時間半ほど雑談。離島センターで職員としての大矢内氏と話すのは今日が最後。大矢内氏の話では、「菅田さんと一緒に共同座長に就くつもりだったが、より動きやすい事務局長ということにしたい」とのこと。帰り道、港区愛宕1−5−3の愛宕神社に寄って、火防せの神であり、おそらく原子力の神でもある祭神のカグツチに祈念してくる(4月号の“うた”参照)。

 4月12日(火)…夜、某所で大矢内氏らと会い、「共同座長」名義のぼくの名刺を受け取る。

 4月13日(水)…午前11時ごろ自転車で日本離島センターへ行き、《離島政策文化フォーラム》の自分と大矢内氏の名刺を渡す。そのあと千鳥ヶ淵の少々、散り始めた桜見物の花見客の横を自転車で走りぬけ、飯田橋から新宿区築地町の知人宅を訪ねる。そのあと、赤城神社を参拝。ちなみに、赤城神社の祭神は、イザナギがカグツチの頸を斬った刀に付いた血から成った神々の中の一柱である石筒之男神(いはつつをのかみ)である。ぼくとしては、原子炉を鎮めたい気持ちからである。

 4月14日(木)…午後3時ごろ、五反田の学研へ行き、『ムー』掲載予定の「亀卜」(2月5日、対馬豆酘で取材)の校正をしてくる。それから新橋へ出て、午後6時半からの《森の会》主催の山田経三氏講演「第2バチカン公会議と解放の神学」を聴く。本当は3月17日開催の予定だったが大震災で順延になっていたものだ。

 4月15日(土)…阿佐ヶ谷Filingで午後7時から9時まで小講演。震災で亡くなられた人々のための、小さな慰霊祭を行ったあと、律令制成立以前の、陸奥國・常陸國の地域の、国造の国々の神々について話をする。

 4月21日(木)…農文協(社団法人・農山漁村文化協会)から「あるくみるきく双書 『宮本常一とあるいた昭和の日本〈12〉関東甲信越(2)』」(4月25日発売、本体2,800円+税)が2冊届く。この本には、昭和53年に書いた拙稿「青ヶ島の神々」他が掲載されている。ちなみに、この5月10日で初めて青ヶ島へ渡って40年になる。偶然だが、僕自身の記念ともなった。読んだことがない方は、ぜひ、この機会に読んでいただきたいと思う。

 4月22日(金)…桜美林大学オープンカレッジ事務局からぼく担当の講座「古代スメラミコトの光と影」の開講(5月6日〜6月3日毎週金曜日の3時間目計5回)の通知が来る。教養講座は6名以上の受講希望者が揃わないと閉講になるが、この大震災の影響で希望者も減るかと思われたが、10名の希望者があり、無事スタートとなった。感謝。

 4月24日(日)…伊豆大島(東京都大島町)で共産党員の川島理史氏が町長に当選。共産党員ということで世間から注目されたが、川島氏が当選することはある意味ではずいぶん前からの規定事実だった。また、青ヶ島村の元教育長で小泉チルドレンでもあった飯島夕雁さん(自公みん推薦)が夕張市長選挙で惜敗。このほか、青ヶ島とは少なからずの因縁のあった天目石要一郎さんが武蔵村山市議選で、まさかの次点となった。

 4月26日(火)…ぼくは月に8〜10冊の本を読んでいるが、この日、ちょうど昨年の今頃、大田区内のBOOK-OFFのどこかで、たまたま購入した、仙台市編さん委員会編集『仙台市史 通史編2 古代中世』(平成12年刊)を読了する。もっと早く読んでおくべきだったと悔やまれる。
4月28日(木)…大震災の影響で刊行が遅れていた『しま』第225号が届く。同号には、拙稿「オウ〈au=aw〉島から粟島へ―〈粟・雑穀〉霊の常世への跳躍― 」も掲載されている。興味のある方は、ぜひ、ご覧ください。

 4月29日(金)…横浜市鶴見区鶴見中央1−14−1に鎮座する鶴見神社の“鶴見田祭り”に今年も“羊”役として参加する。この“羊”は田祭りの詞章にある「穂長の尉」、つまり「翁」だが、鶴見田祭りでは何故か“動物霊”に零落している。しかし、今回は“翁”になったつもりで舞った。
自粛ムードで東京浅草の三社祭などが中止される中で、鶴見田祭りはひじょうに盛り上がった。自粛にはやむを得ない面もたしかにあるが、ムード的に自粛するのは祭りの本義を無視していることにならないだろうか?

 5月1日(日)…おお、何と、いちおう結婚40周年である。ちなみに、我々は結婚式は挙げていないが…。
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3 東北太平洋大震災の被災者の方々にお見舞いとお悔やみを申し上げます。 2011.03.14
      
被災状況はまだ完全には把握できていない状況ですが、宮城県下の島々は津波を被った恐れがあります。近年、「猫の楽園」として有名になった田代島、そして網地島は大丈夫というか比較的に被害はなかった、という話が伝わってきています。
気仙沼大島の状況はつかめません。
女川の出島、江島も今のところ情報はありません。
成瀬の宮戸島も同様です。
塩釜市の桂島・野々島・寒風沢島・朴島の安否も心配です。
また、東京の話ですが、JR浜松町駅から見える島嶼会館に倒壊の恐れがあるとのことで、島嶼町村会などの事務部門が同じ港区海岸1丁目の竹芝の東京都島しょ振興公社へ移動中とのことです。
小笠原・父島にも1・8メートルの津波が来て、中心街の道路が冠水したとのことですから、宮城県の島々が心配です。(平成23年3月14日正午の時点)
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2  遅ればせの平成22年の全仕事(?)と若干の近況 2011.02.16

平成22年の全仕事(といっても平成22年に発表したという意味です。実際はかなり古いのもあります。ただし、活字媒体のものは装いを新たに発表されるに際し、若干の訂正・増補などをしています。)
【論文・エッセー】
 ●離島関係
 アマ・ヤマ・シマ・イマにおける〈マ〉と〈ナカマ〉との交通
         『しま』No.220 平成22年1月
 シマの「間」の構造とその復権            『しま』No.221 平成22年3月
 書評:高江州昌哉著『近代日本の地方自治と「島嶼」』       同上
〈奥〉つシマの〈間〉の〈オクレ〉の構造      『しま』No.222 平成22年6月
〈オウ・オク・オキ〉と〈ヲウ・ヲク・ヲキ〉    『しま』No.223 平成22年
※(財)日本離島センターの季刊の機関誌『しま』で展開中の小生の離島論は、http://www.nijinet.or.jp/index.phpindex.php/index.phpから見ることができます。
●民俗学etc
新春随筆 虎                  『世界日報』平成22年1月1日号
貫前神社の鹿占い神事                   『ムー』2010年3月号
[連載]スガタ式「言霊学=民俗学」的《語源》事典 第1回「あ〜え」
                      『現代宗教評論』第4号 2010年9月

【単行本】
『よくわかる祝詞』                  創土社 2010年6月30日

【共著・解説】
共著『古代豪族の謎』(新人物文庫、2010年4月)の中の「秘史 物部氏興亡記」
共著『古写真で見る 明治人の肖像』(2010年11月、新人物文庫)の中の《宗教家》8人
共著『八百万神をめぐる 古代王権の謎』(2010年11月、新人物文庫)の中の「吉備津彦神社」と「大山祇神社」
共著『日本のまつろわぬ神々』(2010年11月、新人物往来社)の中の「三嶋大明神・伊都能売神・天理王命・豊受大神・法華三十番神・天地金乃神・ハヤムシ・キミマンモム大神・金毘羅大権現・山田典野の姫君・天之日津久」(計400字詰換算100枚超)

『宮本常一離島論集第五巻―ふるさとの島にありて思う/島と文化伝承』(2010年10月、みずのわ出版)の中の解説「島共同体を天と底辺の両面からまるごと_んだ目と耳」

【講義・講演etc】
●神奈川県の神々の歴史と風土…(財)神奈川婦人会館…4/13・4/27・5/11・5/25・6/8・6/22・7/13・7/27・8/10・8/24・9/14・9/28(計12回)
●青ヶ島の神々と祭り…千葉大学…6/15(平成9年以降14回目)
●桜美林大学オープンカレッジ
 ☆冬至前後の旧暦霜月の祭りと縄文の記憶…5/6
 ☆神々の託宣と神道の教義…5/7・5/14・5/21・5/28・6/4(計5回)
 ☆『古事記』神話の時空を読み解く―神々自身に出自を語らしめよ―…10/22・11/5・11/12・11/19・11/26
  (※今年も春季講座を用意していますので、桜美林大学のオープンカレッジにアクセスしてください。)
●神道おもしろ話…阿佐ヶ谷Filing…2/20・4/18・6/19・9/18・11/20(計5回)
※本年も隔月の第3土曜午後7時から話をしています。詳細は下記の学習会スケジュール(http://www.k5.dion.ne.jp/~filing/index_frame/index_frame.htm)をご参照下さい。

さて、宗教学者で評論家の島田裕己さんは昨年(平成22年)の年賀状で、〈昨年(つまり、一昨年=平成21年)は年間12冊を上梓、すなわち『月刊島田』でした。今年も『月刊島田』を目指します〉とあり、昨夏(8月8日)、島田さんの結婚披露宴でお会いしたとき、その時点でも月刊ペースだと言っていました。しかも、彼は昨年、大ベストセラーを出しています。足元にも及ばないわけですが、昨年、せめて『季刊菅田』にはなりたや、と思っていたのですが、実際は上記のごとく1冊+αで、共著を含めた合わせ技で、せいぜい1・8冊ぐらいでした。本年はわたしの体調(精神状態の充実を含めた)次第ですが、2冊の予定はあるので、とりあえず、合わせ技でも『季刊菅田』をぜひ目指したいと思います。

〈近況〉
 昨年12月1日、日本財団の前に自転車を置いたら両輪がパンク状態になり、その翌々日、新しい自転車で地元の図書館へ行くと、隣の自転車が強風で倒れて、わたしの自転車の前輪にハンドルが食い込み、それを外していると、その自転車の持ち主でも何でもない単なる通行人がなぜか烈火のごとくイチャモンをつけてきてから、わたしの運気は大幅に下がっていました。しかし、12月22日、川崎市幸区のBOOK‐OFF多摩川大橋店で堀田善衛『鬼無鬼島』が収録されている中央公論社『日本の文学73』(昭和43年)を105円で買い求めてから徐々に運気も上昇し始めたようです。ちなみに、同書はもちろん、すでに読んでいますが、以前から蔵書に加えたいと思っていたものです。ちなみに、鬼無鬼島は山田貴敏の漫画『Dr.コトー診療所』の五島健助のモデル、Dr.瀬戸上健二郎氏の診療所がある下甑島を舞台とした作品です。
●1月1日(土)…古い友人の加藤彰彦さん(筆名:野本三吉)からの年賀状で、彼が昨年4月、沖縄大学の学長に就任していることを初めて知る。
●1月9日(日)…『しま』225号のための原稿「オウ(au=aw)島から粟島へ―〈粟・雑穀〉霊の常世への跳躍」を書き始める。11日稿了(wordで5ページ半)。
●1月12日(木)…女房と横浜市神奈川区の浦島伝説の地の周辺を散策。ぼく自体は何度も訪れている。
●1月20日(木)…午後6時半からJR新橋駅前のニュー新橋ビル地下2Fで、〈森の会〉主催の「近代日本のかむながらの道―神様は神様でよかんのう―」と題して講演する。青ヶ島の神祇信仰を話の枕に明治以降の神社信仰の変遷を概観したもの。その日のぼくの話を、『書下し長篇超伝承ミステリー・神の系譜』シリーズ(徳間ノベルス)の作家・西風(ならい)隆介氏や、昨年の〈青ヶ島が外国人に奪われる〉騒動の発端を担ってしまった武蔵村山市議の天目石(あまめいし)要一郎さん等が聞きに来てくれました。感謝。
●1月22日(土)…午後7時から9時まで阿佐ヶ谷Filingで「古事記おもしろ話」をする。
●1月24日(月)…午後5時から7時まで虎ノ門・海洋船舶ビル10Fで海洋政策研究財団主催の『海女文化の無形世界遺産登録を目指して』(石原義剛・海の博物館館長)の講演を聴講。韓国・済州島(チェジュド)、否、『延喜式』にも登場する「耽羅鰒(たんらあわび)」を、どう捉えるのか、この点がひじょうに気になった。また、済州島海女の問題を突き詰めていくと、竹島問題も出てくる。海女文化の世界遺産登録は必要と思うが、済州特別自治道の主導で話が進んでいる現状が若干、気がかり。
●1月26日(水)…午後4時50分ごろ、大田区池上では小雪が舞う。隣の駐車場の車がうっすら白くなる。羽田飛行場でも同じ頃、雪が降ったという。
●1月27日(日)…宮本常一先生が監修されていた『あるくみるきく』が農文協から刊行されるのにともない、かつて小林亥一さんと一緒に書いた『回想の青ヶ島』もこの4月以降に出るので、その「あとがき」をwordで1ページ分書いて、森本孝さんへ送信。また、それに関する付帯的作業も行う。
●2月3日(木)…午後5時から30分、地下鉄東西線「浦安駅」近くの「FMうらやす」で録音。友人・右尾祐佑さんの「ミギオのびば!楽屋噺」に出演。当日の話は、ネットでも聴くことができます。http://www.geocities.jp/yusuke_migio/あるいはhttp://www.fmu.co.jp/からどうぞ!
●2月4日(金)〜6日(日)…学研『ムー』の仕事で、三上丈晴編集長、小沢カメラマンと、5日(旧正月三日)の対馬市豆酘の雷(いかづち)神社の亀卜神事・サンゾーロウを中心に、対馬の神社を参拝取材。韓国・釜山とは快速船で往復9千円という距離と旧正月ということもあって、韓国人観光客が厳原のホテルを占領している感がありましたが、豊玉町仁位の和多津美神社の賽銭箱はウォンばかりでした。
●2月11日(金)…午後1時から4時15分まで千代田区大手町の日経ホールで、福岡県、宗像市、福津市から成る「宗像・沖ノ島と関連遺産群」世界遺産推進会議の主催による「神宿る島―沖ノ島―海を渡る祭祀と祈り」を聴講。ちなみに、ぼくは沖ノ島に3度参拝している。
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1  卯年の寿歌(ほぎうた) 2011.01.01
       

ウッとうなって卯の年だ
ピョン ピョン跳ねるウサギ年
飛躍の年だぜ 卯の年は
金烏玉兎(きんうぎょくと)のウサギ年
金烏玉烏の 金卯玉兎の卯の年だ
襲撃者からは逃げの一手だ ピョン ピョン
すばやく 動けよ ウサギたち
笑いをこらえて ウッ ウッ ウッ
卯も兎も鵜も烏もみんなウだ
羽を拡げて跳び上がれ
ウ(右=right=正義)のlight(光)を迂回しても守れ
わが宇(う)を守れ 憂(う)になることなかれ
諾! 諾! 諾!
卯年と辰年でウダツをあげよ
ウサギが転・転・転と跳ね
天(あま)の恵みの象徴の
雨(う=あま)の 有(う)をウンと呑み込んで
明けまして おめでとうございます

平成23年 正月 元旦
                 とほかみ ゑみため 拍手  菅田 正昭 拝
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