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2002.09.15
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ホームページの試験運転中に、じつに多くの方々からメールを頂戴しました。ありがとうございます。 |
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◎ 生島足島の神について
その中で、インターカルチャー研究所の松澤正博さんから「子どもの頃、生国魂神社の周辺で遊んだ」という想い出のコメントが送られてきました。また、国学院大で祝詞学を講じている金子善光さんからは「『祈年祭』祝詞の中に、生島足島の神のことがのべられている」との指摘を頂きました。
そこで、インターネットのweb検索で「生国魂神社」を調べながら、岩波文庫の『祝詞・寿詞』を開いて読んでみた。たしかに、『延喜式』収録の「祈年祭」祝詞では、生島・足島の神は生国・足国の神とされ、宮中では生嶋御巫(いくしまのみかんなぎ)の奉祭する神々とされている。さらに、同じ祝詞の「生嶋御巫」の二段前には、「坐摩(いかすり)御巫」のことが出てくる。
そのとたん、わがアタマの中には、八十嶋の一島一島に、アラキ(新木・荒木)の杭(ネッキ=根木)を打ち込んで、その杭の一本一本に、計八十本の綱を打ち掛けて、まるで『出雲国風土記』の八束水臣津野のように、霜黒葛(しもつづら)くるやくるやに、河船のもそろもそろに《島来島来》と引いている光景が彷彿と浮かんできた。そして、これぞ、島魂のタマフリではないか、と思ったのである。
◎ 「でいらほん」について
ユニヴァーサル・フォーラムを主宰している杉浦正敏さんは、デイラホンの語源として「ダイダラボッチ」説の可能性を指摘してきた。じつは、ぼくも、ハガキによる個人通信『でいらほん通信』第0号(昭和46年12月6日刊)で、「法華経陀羅尼品」説が有力視されている中で《でいらほん=デイラ坊》説を提唱した。
当初はまったくの妄説として嘲笑されるだけだったが、その後、ぼくの説が次第に認められるようになった昭和56年、ぼく自身はそれを撤回し、一種の折衷案ともいうべき新説を提唱した。詳しくは『でいらほん語源考』(『アオガシマニュース』第29号、昭和56年9月17日、青ヶ島村広報)をみていただきたいが、その内容は、旧暦11月25日(古くは中の酉日)〔太陽暦だと年が明けてしまうこともあるが、だいたいは冬至の前後と重なる〕の大里神社の例大祭の中の特殊神事「でいらほん祭」のとき、戸板の上に横たわった卜部の扮する女面が「しねほれ でいらほん…いきろおれ でいらほん」の掛け声で蘇生してくる祭である。
ただし、この祭は、NHKテレビの『牛とカンモと神々の島』(1966年9月24日)で演じられたあと、じつは、今日まで一度も行われたことがないのである。ちなみに、現在、「デーラホンまつり」と「えんだん(縁談)まつり」を除いた《大里祭》だけで、ふつう「デーラホンまつり」と呼ばれていて、島民の中でも、ほんとうのこの祭のことを知っている人はほんの少数になっている。
ぼくはたしか昭和51年ごろ、このNHKの取材班に同行した漫画家で、祭礼を中心とした民俗の探訪家でもあった宮尾しげを(1902〜1982)氏からNHK放送ライブラリー(当時)所蔵のフィルムを見せてもらったことがある。
そのフィルムを観て、ぼくは、おそらく二名の修験者(山伏)あるいは陰陽師が、霊魂が極度に弱まった女性(たぶん彼女は太陽の化身なのであろう)にたいし、おそらく法華経の陀羅尼品を唱えながら、一方は「生きろ」と、もう片方は「死ね」と、験(ごん)較べの術を競い合い、結局は《生》が勝利する、という神事を芸能化したのがこの《でいらほん祭》だったのではないか、と想像したのである。
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2002.09.20
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お知らせ |
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◎『歴史読本』平成14年11月号
(9月24日発売、新人物往来社、990円<税込み>)の、
特集<地域別◎神社伝承と古代史>の「中国・四国エリア」の中で、
(1)<岡山県>吉備津彦神社
――大和王権と対立した「古代吉備王国」の祖を祀る―ー
(2)<島根県>日御碕神社
――スサノオ伝承から浮上する日御碕神社=三宮説――
(3)<香川県>金刀比羅宮
――神仏習合の背後に眠る忌部技術集団と社の原像――
(4)<愛媛県>大山祇神社
――朝鮮半島交易の痕跡を秘める古代伊予水軍の社――
の4本を書きました。いずれも400字詰7枚の、どちらかというと小論ですが、すべて島と海の視座から論じています。ぜひ、ご覧下さい。
◎ 琵琶湖研究会の公式ホームページに、
(1) 飫憩(おけ)の言霊とオギャアの産声 (平成14年5月22日UP)
(2) 蛇の古語ハハから脱皮したコトバたち (平成14年8月16日UP)
の2本の原稿を書いています。ページの、ずっと下のほうに、菅田正昭のコーナーがありますので、ちょっと立ち寄ってみてください。なお、ここのサイトでは、コトバの問題について、語源と言霊の視点から眺めていきたい、と思っています。
http://www2.gateway.ne. jp/~bunno/
◎ 第5回 霊性(シマ)文化研究会
《琉球の島々と神々
――とくに大神島と久高島の御嶽(うたき)について――》
話し手 《大神島》 大矢内生気(日本離島センター総務部長)
《久高島》 菅田正昭(宗教史家)
日時 平成14年10月20日(日)午後1時30分〜4時30分
会場 花園神社社務所百合の間(東京都新宿区新宿5−17−3)
<地下鉄新宿三丁目駅5分/西武新宿駅6分/
JR新宿駅7分〜伊勢丹の北側>
参加費 賛助会員 無料 / 一般 3,000円
連絡先 〒230−0012神奈川県横浜市鶴見区下末吉4−17−14
杉浦方
ユニヴァーサル・フォーラム事務局
Tel&Fax 045−584−0281
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2002.11.04
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「『紫陽花とカンジョシバ』重雄さんの言葉」「第5回霊性(シマ)文化研究会(10月20日)の報告」 |
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(1)『でいらほん通信拾遺』第二話「紫陽花とカンジョシバ」の中で、故・佐々木重雄さんのことを書きましたが、先達って、部屋の模様替えにともなう蔵書の移動をしていると、そのときの重雄さんが語った言葉のメモが偶然、出てきましたので、ここで紹介いたします。
「あがどうて、カンジョのげす汲みは嫌だらら。ま(今)は、だいも百姓仕事をしなくなろんて、めんな嫌がって汲みんなか。クニ(本土)からおじゃろう学校の先生たちは、島のもんですら汲みんのう状態どうて、しかたなきゃあのう。手伝ってくれなくともよきゃあ、だいどう、あふれそうになってから『オジサン、汲んでよ』なんて、ひとを馬鹿にした話どうじゃ。ドラム缶で20本もあろわよ。ひとにまかせたまんまで、自分が出したものすら見んのうて、ぶん逃げて遊んでろわ。困ったことう。」
(2)第5回霊性(シマ)文化研究会(10月20日)の報告
当日は講師2名、事務局2名にたいして、参加者は5名。ああ、それなのに、わたしと、ゲスト講師の大矢内生気さんの認識では、参加者9名という気持ちでした。事務局長の杉浦正敏さんの話では、会場費も出ないほどの《大赤字》だったようです。しかし、わたしも大矢内さんも、とても気持ち良く話せたと思っています。
その前日の、諏訪春雄・学習院大学教授が主催されている「沖縄研究会」にも出席された方によれば、わたしたちの研究会のほうが、はるかに面白かったし、内容も深かった、との励ましの言葉を頂戴しました。
今後も、シマとアマ(天・海…)の、さらにオウの視座から、日本文化の霊性の根底を、捉えてゆきたい、と思っています。
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