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第45話 都市伝説?ネット伝説?「青ヶ島出身の著名人」 |
2010.01.08
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もう、ずいぶん前のことになるが、「あおい輝彦って、青ヶ島の出身ですか」と、何人にも訊かれたことがある。
そのたびに「そういう話、聴いたことないな」と答えたものである。数年前、別件で青ヶ島関係のことを検索しているとき、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』の「青ヶ島」の記事の「青ヶ島出身の著名人」の項に「あおい輝彦」氏の名前が載っていた。そこで、今度は「あおい輝彦」を検索してみると、ウィキを初め、多くの記事が「あおい輝彦」を青ヶ島出身者としていた。
そのとき、わたしは、情報の典拠にうるさいウィキが、その出典を明らかにしていないので、これはもちろん誤った情報だと思った。
昨年の初め、別の人から「あおい輝彦って、青ヶ島の出身者なのですね」と質ねられた。わたしは「あおい輝彦が青ヶ島出身なら同い年(ウィキやYahoo人物名鑑によれば、本名は青井で1948年1月10日生まれ)になるはずの人たちから、そういう話を聞いたことがないし、自分自身のおぼろげの記憶ではその頃に該当する人物はいない」と答えた。ただし、母方が青ヶ島の出身という可能性はあるかもしれない」と付け加えた。
しかし、たとえ母親が青ヶ島の出身であっても、あおい氏が青ヶ島出身と言えるのは、ふつう、出生当時、青ヶ島に住民票があったとか、あるいは、文字どおり、青ヶ島で生まれた、という場合であろう。戦後間もなくの青ヶ島は「あさけも、ひょうらも、ゆうけも、めな、いもづくめどうじゃ」という状態だったが、本土の食糧事情と比べると、まだ、ましだったかもしれない。
その意味で、食糧危機の東京本土から逃げてきた人もいたであろうと思われる。しかし、医者はいないし、運が悪いと3ヶ月以上も、定期船が来ない時代である。そんな青ヶ島に母親が出産のため帰省するだろうか、という疑問は当然、起こる。
昨年の5月か6月ごろ、わたしは青ヶ島村役場と関係者宛(計10名ぐらい)に、あおい輝彦氏の出自に関する「伝説」についてのメールを送った。そして、わたしは、たとえ「あおい輝彦」が青ヶ島出身でなくても、権威あるウィキペディアに「青ヶ島出身の著名人」として紹介されているのだから、そのご縁を最大限に利用して、青ヶ島村で「あおい輝彦」氏を〈青ヶ島観光大使〉に任命するのも好いかな、と思ったりしたのである。
この正月、「青ヶ島」を検索すると、いつの間にか、「青ヶ島出身の著名人」の項目から「あおい輝彦」が消えていた。そして、「あおい輝彦」を検索してみても、もう「青ヶ島の出身」とは出てこなかった。もちろん、あちこちの古いページを捜していくと、ウィキを引用したらしい「あおい輝彦“青ヶ島出身”説」は残っている。昨夏ごろまで残っていたのに、おそらく政権交代で削除されたのであろうか。
では、この都市伝説は、どこから生じたのであろうか。おそらく、50歳代以下の青ヶ島の人は、そんな話、聞いたことはない、というはずだ。インターネットで初めて知ったと言うだろう。
ところが、その伝話の基になったと思われる話がある。わたしの第一次在島時代のことだが、わたしは「あの、だいだったか、名前をひっかすろうが、テレビに出てくる、グループで歌ったり踊ったりする、あの若い男の子は、青ヶ島の出身どうじゃ」という話を聞いたことがある。もちろん、その「若い男の子」=昭和46〜48年の時点での「あおい輝彦」とはいえないのである。どのグループかわからないのである。
さらに、第二次在島時代には、島の創価学会員から「あの映画『人間革命』で池田先生を演じた役者さん、あの人は青ヶ島の出身どうじゃ」という話を聞いている。同じような話は、わたしとは在島期が数ヶ月しか重ならない創価学会員の元役場職員も聞いており、彼は「池田先生を演じた人なら〈あおい輝彦〉さんだけれど、もし本当なら嬉しいけど、青ヶ島の出身なのかな。自分には信じられない」と語っていた。
その意味では、煙がまったく無い話ではなかった、と思われる。ただし、「あの若い男の子」が後に池田大作氏を演じた「あおい輝彦」である、とは必ずしもいえないのである。
おそらく、いくつかの妄想的願望と、それを聞き誤ったことから生じた「都市伝説」、否、「青ヶ島伝説」も、荒波の中で仕分けされて消えてしまったのであろう。いずれにせよ、ウィキが都市伝説の発信元になっていたことは事実である。削除した理由も示されていない。これぞ、まさしく都市伝説ぞ。
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