>>一覧へ  >>HOMEへ
 
    島 影

 空はこんなに晴れているというのに
 あなたを見ることができない
 鏡のような静けさだというのに
 あなたのもとに行くこともできない
 あなたが見えるという場所に立っているのに
 あなたの影すらも見えない
 だが ここに立つと あなたを想い出す
 わたしの足が憶えている

 あそこに 転がっていた 小さな石を
 踏みつけたときの感触が
 いまもわたしの足には残っている
 乳濁色の霧が山のほうから降りてきて
 海のほうからも駆け上がってくる
 その霧に全身をつつまれたとき
 わたしはあなたの上に立っていたのに
 わたしはあなたをみることができなかった

 おお いまあなたが見えるはずの
 この場所に立っていると
 そのときのことを想い出す
 あなたは見えなくとも
 わたしはあなたのうえに立っている
   
 2004.01.01
 
<自注> この詩は今から20年ほど前に書いたものです。平成14年6月22日、65歳で身まかられた名古屋の自由宗教運動家で、詩人でもあった今井阿津夫さんにおだてられて書き送った一篇です。今井さんの主宰する〈聖総の波〉の機関紙『聖総』に載せていただいたものです。そして、少々、場違いではありましたが、拙著『古神道の系譜』(コスモ・テン、平成2年6月25日)の中に「詩三篇」として収録したものです。
 もちろん、この詩は、〈第二次青ヶ島在島時代〉以前のことをうたっています。わたしは昭和49年1月、〈第一次青ヶ島在島時代〉を終えたあと、〈第二次〉が始まる平成2年9月までに3回、青ヶ島に渡りました。いずれも3〜5日の船待ちをしました。そのほか2度ほど、八丈島へ行きました。運がよければ、青ヶ島へ行こうと思っていたのです。
 今月の“うた”は、そういうときにできたものです。〈第二次〉が突然に終了した平成5年7月以降、この7月で、青ヶ島を離れて、もう11年が経ちます。その間、わたしは八丈島にも出掛けていません。とうぜん、その先の青ヶ島には行っておりません。
 昨年の7月、わたしは平成16年3月1日以降のカレンダーが平成5年と同じことに気がつきました。今年あたり、島影を求めながら、青ヶ島へ出かけてもよいのではないか、と思っています。