>>一覧へ  >>HOMEへ
 
刳舟(くりぶね)の伝説(物語詩)

伝説(1) 
 16歳になったら、木を捜せ。ちょうど手頃の木を見つけたら、それで刳舟を作れ。そう言われて幾星霜。もちろん、こんな南の島では、霜なんか降りはしないのだけれど。でも、ずいぶん年月が経ったのも事実らしい。しかし、ちょうど手頃の木なんて、そう簡単に見つかるもんじゃあない。
 だいいち、ぼくは生来の怠け者。木なんか本気で捜さなかったのだ。あるとき、ちょうど、おあつらえむきの大きな木が倒れていた。これで舟を作れ、と言わんばかりに。
 でも、ぼくは結局、そのままにしておいた。運ぶのも、穿つのも、一人でできるもんじゃない。共同作業が必要なんだ。それなのに、そいつを一人で、だれにも見つからないようにして作れだなんて、この島の伝説はどうかしてるぜ。それで、そのまま放置しておいたら、そこから、たくさんの芽が出てきた。いまの生態学者なら倒木更新というにちがいない。

伝説(2)
 南風が吹いたら、その刳舟に乗って沖へ漕ぎ出せよ。ぼくは、ときどき荒磯に出た。今じゃあ、南風が吹いても、だれも出てきゃしない。昔の話なんだ。
 ある日、どこからか、だれが作ったのか、立派な刳舟が流れ着いていた。そういえば、きねいはアラシだった。あるいは、ぼくのように刳舟伝説を信じた奴がいたのかもしれない。とにかく、そいつを、今度は、ぼくがほんとうに隠した。
 待ちに待った。とうとう南風が吹いてきた。ぼくは磯へ出掛けて、刳舟を引きずり出して沖へ出た。そして、どのくらい時間が経ったのであろうか、どこかの島へ吹き寄せられた。

伝説(3)
 しかし、そこには、迎え草履の紅鼻緒なんてなかった。誰も迎えてくれなかった。気が付くと、ぼくの背丈ほどの岩があった。ところどころには、ヨメガカサが貼り付いていた。ぼくの目の位置には、二つの小さな窪みがあった。ぼくはそこに唇をあて、息を吹き込んだ。ピィーッ、澄んだ音が長い余韻を引いて流れた。三日月がでていた。やがて星々も喋り始めた。
   
 2003.11.01
<自註>
 この物語詩は、八丈ショメ節の「南風だよ みな出ておじゃれ 迎え草履(ぞうり)の紅鼻緒(べにばなお)」と唄われる八丈島‐青ヶ島に伝わる〈女護ヶ島〉伝説にヒントを得たものです。ただし、この南の島は、必ずしも青ヶ島である必要はありません。
 ちなみに、青ヶ島では、霜が降りることはあります。今はほとんど降りないし、多分、気がつかないのでしょうが、かつて池之沢では12月下旬頃の早朝、霜がうっすらと降りたようです。
 こういうと、そんな馬鹿な、と思う方もいるかもしれません。なにしろ、典型的な二重式火山島の青ヶ島の、池之沢はカルデラ地帯の総称なんですから。通称オカベと呼ばれている集落のある地帯は、冬期は強いニシ(北西の季節風)があたり、体感温度をぐっと下げさせます。ところが、池之沢では、ほとんど風があたりません。周囲を外輪山で囲まれているからです。しかも、池之沢のあちこちでは、噴気孔から熱い蒸気が吹き出しており、地熱も高いのです。このため、昭和30年代までは、池之沢にも家を持つひとがかなりいて、冬期はそこに住むという世帯もあったようです。昭和40年代までは、石積みの仮庵(かりほ)の小屋にハチジョウマグサ(ススキの一種)を敷いて、冬期や梅雨時はそこで過ごすという老人もいました。
 そういう池之沢に霜なんか降りるか、というのが常識的考えです。じつは、オカベで霜が降りることはないのですが、池之沢の場合、ある一定の気象条件が重なると、霜が降りるのです。しかし、午前7時半を過ぎると、消えてしまうし、村営サウナはあっても、いまは人が住んでないので誰も目にしなくなったようです。もちろん、地球の温暖化現象の影響もあるかもしれません。
 なお、ヨメガカサとは、八丈島‐青ヶ島では、通称ヒラミと呼ばれている一枚貝のことです。波打ち際の岩にへばりついている貝で、イソガネで剥がし、味噌汁に入れたり、網の上で焼いて食べます。なかなかの美味です。伊豆大島あたりではイソモンといって、さっと湯掻いて貝から身を離し、かき揚げにして食べても美味しいようです。