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  おもうわよ


おもうわよ おもうわよ
青ヶ島よ おもうわよーい
わたしの声がこだまする
わたしの声が波間に消える
わたしのうわ言が自分じしんを寂しくさせる
想い出のぬくもりが訴えてくる
わたしは島影を見たくない
しかし 島影がわたしを追いかけてくる
感じよ 感じよ おまえたちも感じよ
これは断じて訣別ではないのだ
島影の中の現実よ
おもうわよ おもうわよーい
青ヶ島よ わたしに声を掛けてくれ

   
 2002.10.01
<自註> 
 《おもうわよ》とは、青ヶ島の別れの言葉です。青ヶ島方言(文法的には万葉集東歌方言とほとんど同じ)でサヨウナラの義です。
 もちろん、オモウは「思う・想う」を意味し、語源的には、ある特定の人のオモ(面・貌・顔)を、オモ(重)たく想い浮かべることから生じました。別れのとき、愛しい人のことを、懐かしい人のことを、強くオモウから《おもうわよ》なのです。
 もう30年も前のこと、荒磯の中の小さな突堤だけの、港とは名ばかりの三宝港での別れのとき、教員のひとりが島人からオモウワヨと言われて、ポッと顔を赤らめた、という美しい勘違いもあったようです。
 わたしは、この言葉は、日本の方言の中で、というよりも、弧状列島の中のニッポン諸語の中で最も美しい言葉である、と思っています。