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東京稲城市「島守神社」に参拝し祝詞を奏上
平成27年4月1日
平成27年3月23日(月)午後2時05分、東京大田区池上の我家を自転車で出発し、中原街道の丸子橋を渡って川崎市側に出て、多摩川の土手を遡って東京稲城市押立の島守神社を参拝した。当初の腹づもりでは1時間半もあれば到着するだろうと思っていたが、北西風にあおられて2時間以上も掛かってしまった。一昨年、神奈川県川崎市多摩区菅野戸呂の野戸呂稲荷神社と、同区菅6丁目の芝間稲荷神社を参拝した際、JR南武線「矢野口」駅が近くに見え、菅6丁目から我が家まで自転車で1時間10分だったので、1時間半もあれば充分だと思い込んでいたのだ。
島守神社が鎮座する稲城市押立は多摩川の南西側に位置し、周辺には梨畑が広がっているが、多摩川を超えた北西側には東京府中市押立町がある。もともと一つの村であり、実は、昭和24年まで、稲城市押立も北多摩郡多磨村(現・府中市)押立だった。祝詞の本文にも書いたが、稲城市押立も府中市押立町も、本来は武蔵國多磨郡押立村である。
6年ほど前、ここに島守神社という、離島振興を願う者にとっては、誠に有難い社号を持った神社があることを偶然に知った。それ以来、一度は参拝したいと思っていたが、神奈川県川崎市側の多摩川流域の神社はほとんど隈なく参拝したが、東京側のほうはなかなか手が回らないというか足が回らないというか、あまり機会がなく、月日が経ってしまった。このままだと島々が危うい、との気持ちで参拝したかったが、足を延ばせなかった。そうこうするうちに、わたしの知人でもある小島愛之助氏(元・国交省離島振興課長、元・国交省国土政策局長などを歴任)が平成27年4月1日付で公共財団法人日本離島センター専務理事兼全国離島振興協議会事務局長に就任することになった。そこで、就任前になるが、小島さんのため、否、日本の離島のため、島を守るという名を持った島守神社に参拝し、この日のために作成した祝詞を奏上した。
この島守神社は明治15年(1882)社号変更するまでは神明社だった。この押立という地名は、多磨川の洪水で村内の水田が押し切られたが、やがて土砂が堆積して押立てられるようになったことから名づけられたものという。とくに、神明社の鎮座地の小名を「向嶋」といい、周辺より若干高くなっていたらしい。境内には稲城カルタの「魔の出水、いくどもまもり島守社」の碑があるように、島守神社の周辺はこうして何度も洪水から免れた、と伝えられる。
『新編武蔵風土記稿』には次のように出てくる。「神明社 除地。長五十六間、幅三間、小名向嶋にあり、わづかなる祠にて、村内龍光寺(神明山薬王院龍光寺、天台宗。 東京都府中市押立町4-35-2)の持なり」
急きょ作成したので、あまり良い出来栄えではありませんが、このとき奏上したのが以下の祝詞です。
島守り・島立て祈願祝詞
たまちはふ多摩川の辺(ほとり)に光さす、ここ武蔵國多磨郡押立村(むさしのくにのたまのこほりのおしだてのむら)の小名(こな)向嶋(むかひしま)、今の東京都稲城市押立六七八番地に坐(ま)します、掛(か)け巻(ま)くも綾(あや)に畏き 天照皇大神(あまてらすすめおほみかみ)・秋葉大神(あきばのおほかみ)・素盞嗚尊(すさのをのみこと)を斎(いつ)き祀(まつ)れる島守神社(しまもりのかみのやしろ)の御前(おほんまへ)で、離島政策文化フォーラム共同代表・菅田正昭 伊(い) 恐(かしこ)み恐も白(まを)さく。
夫(そ)れ南北に長く連なる弧状列島の、我等が大八嶋國の基(もとい)である淤能碁呂嶋(おのごろじま)に 伊邪那岐命・伊邪那美命の二柱の神が天降(あも)りまして嶋を生み国作りされたまひて此方(このかた)、我等が大八嶋國(おほやしまぐに)を脅かすあだしものも多かりき。然れども他国侵逼(たこくしんぴつ)の時来たらばそのたびに神々は神風吹かせたまひて追ひ払ひき。かくありて人民(おほみたから)も大八嶋國の基としての離れ島の島立て・島興しの国作りも惰(おこた)らず勤(いそ)しみ励み務め奉りき。然れども大八嶋國の基としての島々のことを忘れ、そのことに異議申し立てすることを島国根性として退ける漢意(からごころ)・西洋意に毒されし人等(ひとたち)も現われ出で、大八嶋國の基は危うくなりき。今ここに、遙けき彼方の、荒鹽(あらしほ)の鹽の八百道(やほぢ)の八鹽道(やしほぢ)の鹽の八百會(やほあひ)の海から侵入する魔船どもあり。ここに於いて我等一同、和魂(やまとたましひ、にぎみたま)を一つにして島々を押立て、島守り・島興しに勤しみて、國の基としての島地の弥益(いやま)し益(ま)しの繁栄を乞ひ願ひ、天(あめ)の壁立(かきた)つ極(きは)み、國の退(そ)き立つ限りの島々を、某甲(それがし)が弱肩に太襷(ふとたすき)取り挂(か)けて八十綱(やそつな)うち挂けて引き寄する事の如く、大八嶋國の現(あき)つ事・顕(うつ)し事を安らけく平らけく知ろしめさむと、守り給へ、興し給へと宣(の)る。
わきても大八嶋國の基の島々の、さらに礎たる小島は、「小島、之(これ)を愛し助ける」事を発願(ほつがん)する小島愛之助氏の業(わざ)が、この漂へる国の基の基たる潮騒の小さき島々の修理固成(すりがため)に賛同する朋輩(ともがら)の取り持てる絆の力を得て、ま幸(さき)くませと進み給ふことを乞ひ願ひて白さく。
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離島関係拙稿一覧(2006、4~2015、3)
平成27年6月22日
1、鬼が島と鬼界島の間で…沖縄県及島嶼町村制の根拠の深淵を抉る
『しま』No.206 平成18年8月
2、書評:橋口尚武著『ものが語る歴史11 食の民俗考古学』 同上
3、水母なす漂流の時代の石敢当―再び沖縄県及島嶼町村制とSCAPIN677の近似性について 『しま』No.207 平成18年11月
4、どこまでが「南島」か?―シマをより深く理解するために
『しま』No.208 平成19年1月
5、孤島・青ヶ島の視線から領海・EEZを眺めると
『Ship & Ocean Newsletter』NO.159 20 March 2007
6、 日本人の精神性から見る「領有」意識の二つの形態―「しろしめす」と「うしはく」の違いの視点から 『しま』No.209 平成19年3月
7、書評:瀬戸上健二郎著『Dr.瀬戸上の離島診療所日記』 同上
8、ぼくがシャニンになれたわけ 『若潮』41 平成19年3月
9、青ヶ島の神事と芸能 第23回〈東京の夏〉音楽祭2007『島へ―海を渡る音』
10、オノゴロ島と〈島生み〉神話―〈日本〉の雛形としての〈島〉と人口問題
『しま』No.210 平成19年6月
11、書評:重村斗志乃利著『大島紬誕生秘史』 同上
12、島国根性と鎖国の精神―“自虐”性の原基についての考察
『しま』No.211 平成19年9月
13、書評:斎藤 潤著『東京の島』 同上
14、比喩と象徴としての〈島〉―わたしたちに求められているのは哲学的考察だ
『しま』No.212 平成20年1月
15、「シマ」と「アマ」、「クニ」と「ウミ」―日本的霊性の地政学
『しま』No.213 平成20年3月
16、書評:北川建次・印南敏英ほか編『瀬戸内海事典』 同上
17、キンチメ考 『南海タイムス』2008年4月18日号
18、鬼ヶ島と奥島 『若潮』42 平成20年3月
19、海と島を蔑ろにしてきた日本人の精神構造 『しま』No.214 平成20年7月
20、海は島にとって能動態か受動態か? 『しま』No.215 平成20年9月
21、DVD版「青ヶ島の神事と芸能」解説(パンフレット)
(財)日本伝統文化振興財団 平成20年11月26日発売
22、海の視座から見る〈国生み〉神話―〈島々〉の誕生と〈海〉の霊性
『しま』No.216 平成21年1月
23、書評:西牟田 靖著『誰も国境を知らない―揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅』
同上
シマと島のトポス 『国文学』平成21年3月号(学燈社刊)
日本的霊性を世界へ発信 『国づくり人づくり』創刊号 2009年2月
国境と“くにざかい”―海と島から古代の〈国境〉を視れば―
『しま』No.217 平成21年3月
27、伊豆諸島の名称と帰属の考察 『LA MER』no.196 2009 05/06
28、悪所・窟・島―華やかな遊廓に対する羨望と蔑視の感情が交錯
『若潮』43 March. 2009
29、〈海と島の道〉の視点からの道州制 『しま』№.218 平成21年6月
30、〈島〉という〈異界〉 『しま』No.219 平成21年9月
31、書評:下野敏見著『南日本の民俗文化誌3 トカラ列島』 同上
32、アマ・ヤマ・シマ・イマにおける〈マ〉と〈ナカマ〉との交通
『しま』No.220 平成22年1月
33、シマの「間」の構造とその復権 『しま』No.221 平成22年3月
34、書評:高江洲昌哉著『近代日本の地方統治と「島嶼」』 同上
35、〈奥〉つシマの〈間〉の〈オクレ〉の構造 『しま』No.222 平成22年6月
36、〈オウ・オク・オキ〉と〈ヲウ・ヲク・ヲキ〉 『しま』No.223 平成22年9月
37、ヲナリの比禮振り、ヲウナの布晒 『しま』No.224 平成23年1月
38、オウ〈au=aw〉島から粟島へ 『しま』No.225 平成23年4月
39、〈なゐふる〉から〈なゐ〉へ 『しま』No.226 平成23年7月
40、知られざる「亀卜」神事 『ムー』2011年6月号
41、〈地震・津波・噴火〉離島関係災害史年表 『しま』No.227 平成23年10月
42、淡路島のユダヤ人遺跡 『ムー』2011年11月号
43、粟散辺土の、わづかな小島の草莽の視座から 『しま』No.228 平成24年1月
44、名称不明離島の名称決定と島の字の訓読呼称の違いについて
『しま』No.229 平成24年3月
45、〈ゲンジュウ〉から〈カンジュウ〉へ―故郷へ還住するということ―
『しま』No.230 平成24年6月
46、再びシマなどの〈間〉について―「アヒダ」と「マ」の視点から離島の絆を考える―
『しま』No.231 平成24年9月
47、マイ・ブック・レビュー『青ヶ島の神々―〈でいらほん流〉神道の星座―』
『神道フォーラム』Vol.8-4(通巻46号) 平成24年11月15日
48、都市と島 『しま』No.232 平成25年1月
49、人間知と世界知を獲得しうる島 『しま』No.233 平成25年3月
50、神島の奇祭 ゲーター祭 『ムー』2013年4月号
51、「沖縄県及島嶼町村制」への道程とその後 『しま』No.234 平成25年6月
52、〈忘れられた島〉と〈海に背を向けた島〉 『しま』No.235 平成25年9月
53、中井正一と瀬戸内の島々―戦後図書館運動の原点は田島だった―
『しま』No.236 平成26年1月
54、占いの島・神の島・祈りの島 『しま』No.237 平成26年4月
55、色の名が付く島 『しま』No.238 平成26年7月
56、吉田松陰の離島観 『しま』No.239 平成26年9月
57、〈中日友好秘話〉友好の原点が眠る〈忘れられた島〉―文久3年(1863)、中国人460人を救助した御蔵島の島民たち― 『人民日報 海外版』日本月刊2014・11月号
58、島へ配流された天皇たち 『しま』No.240 平成27年1月
59、世界史から見た幕末期の島々 『しま』No.241 平成27年3月
太字の論考は、はぜひ読んでいただきたいものです。『しま』掲載の拙稿は、公共財団法人日本離島センターの『しま』編集部へ、ご連絡いただければ、実費で分けてもらえます。
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