でいらほん通信拾遺

菅田正昭のシマ論 でいらほん通信

第50話

平成27年1月20日

       池之沢は天ノ岩戸だ! そして槍ノ坂のハンブン神様。

 

 大凸部、東台所、尾山、大里…等々、青ヶ島の外輪山の峯々へ行くと、池之沢が見下ろせる。池之沢は天ノ岩戸(天石窟)だ。その証拠に、三宝港からオカベに向かうとき、あるいは、オカベの集落から三宝港へ行くとき、池之沢へ入るとき、必ずトンネルを通る。

 青宝トンネルと平成流し坂トンネル。どちらも異界へと誘うトンネルだ。もちろん、三宝港じたいも充分に異界だが、青宝トンネルは異空間への岩戸である。虚時間への入口だ。青ヶ島という神話空間の母胎への産道だ。

 平成流し坂トンネルはオカベに通じる岩戸である。ここを通り過ぎると、虚時間はやや現実に引き戻されるが、オカベは神々が居ます現実の神話空間の入口の役割を果たしている。もちろん、神は人なり、人は神なり、である。おお、池之沢は高天原であり、実に、黄泉国でもある。

 池之沢へ至る道には、かつて槍ノ坂もあった。オカベ方面から大里神社ヘの参道を少し流し坂方向へ行く途中にあった坂道である。日ちゅうも、まさに、昼なお暗き険しい山道だった。その途中にあったのがハンブン神様である。

 ハンブン神様。何とも不思議な名前である。半分が神様なら、あとの半分は何なのか。興味を誘うとともに、ちょっと怖い気もする。ともあれ、異様な名前である。

 実は、ハンブン神様の「半分」とは、槍ノ坂の「中間」という意味だ。そこにおわしますイシバのことである。祀られているのは、かつて廣江次平さんにお聴きしたところでは、キダマサマ(木「玉・霊」様)と槍ノ坂天狗だった。何の樹木だったか、今は思いだせないが、木の根元にそこそこ立派な祠が鎮座していた。峠ではないがトーゲサマの一種である。

 昔はオカベから池之沢へ向かう人は、この槍ノ坂を近道として利用した。そして、このハンブン神様の前で、水を飲んだり飴玉を舐めたりして、小休止をした。もちろん、この場所で神様に祈る。線香を持参してきた人もいたし、何も持っていない時は附近に生えているイタドリ(虎杖)とか紫陽花を折って、それを手向け草として奉納した。

 慣れてくると、その折り方で、誰が池之沢に降りているのか、が判った。手向け草には、そうした役目もあった。池之沢を後にしてオカベに帰るときには、ハンブン神様に感謝して往きに手向けた草を持って帰るのである。そうしないと、誰某はまだ池之沢にいる、と想われてしまうのだ。異界と別の異界との境界にあるのがこのハンブン神様なのだ。

 わたしが初めて槍ノ坂を通ったのは昭和46年5月下旬の頃だった。そのときは下るのに30分、上るのに45分も掛かった。もっと時間が掛かったかもしれない。それが次第に速くなり、下りは10分以内、上りは15分で行けるほどになった。島でも1番か2番のスピードではなかったか、と自負する。おそらく、槍ノ坂天狗がわたしの腰を後押ししてくれたにちがいない。昭和47年以降は毎週(無理なときは隔週)、池之沢の現在の「ふれあいサウナ」の少し手前にあった、当時は青ヶ島で唯一の2階屋で、池之沢常住者の奥山利英さん夫婦(どちらも80歳を超えていた)を訪問するようにしていたので、速く歩けるようになったのだと思われる。

 ところが、昭和48年だったかその前年だったか、ある暑い日のとき、上るのに1時間40分以上も掛かってしまったことがある。もっとだったかもしれない。今思うと、一種の熱中症による幻覚だったのかも知れないが、行けども行けどもハンブン神様に辿り着けないのである。時計を見ると、時間ばっかりが過ぎてゆく。誰も通らないし、自分は何処を歩いているのだろうかと思った。

 いつもなら15分で上るところをその6倍以上も掛かって、槍ノ坂の入口(もちろん、上りのときは出口だ)の所にある炭焼きの神のスミヨシ様に辿り着いたときは、実に、ほっとした。その話を村人にしたところ、「菅田さんは槍ノ坂天狗にからかわれたどうじゃ」と言われた。槍ノ坂じたいが昼なお暗き森に包まれた《異界》だったのだ。運が悪ければ、虚時間が支配する虚空間の霊原子になってしまうところだった。今は昔の話である。

 その槍ノ坂は、昭和の終り頃、使われなくなった。池之沢へ降りたところが砂利取りの採石場となり、通行禁止となったからだ。わたしは助役時代(平成2年9月~5年7月)、このハンブン神様を参拝したいと思って、何度か降りかけたことがある。最初は手ぶらで、その次は鎌を持って、3度目以降は鉈や鋸を持って出掛けたが、その都度、坂に生えている竹や、大きな倒木や、坂の一部が雨で抉られたようになっていて、往く手を遮られて断念せざるを得なかった。一度は若い屈強な役場職員も同行してくれたが、やはり諦めざるを得なかった。本当の、誰も訪ねることができない異空間になってしまったのだ。

 昨年の5月、わたしは青ヶ島へ出掛けた。そして、わたしの助役時代には、まだ小学生だった荒井智史君と再会した。彼は今や立派な父親になっているが、わたしの著述の熱心な読者でもあるらしい。その彼がこの話に興味を持ってくれて、自分もぜひ行きたいという。しかし、わたしはもう、結構な年である。その厚意に甘んじて、今度、青ヶ島を訪問する時には、槍ノ坂ハンブン神様参拝探検隊を組織することにした。東京からも行ってみたいと言っている人もいる。これが何時実現できるかわからないが、異界の中の異空間の青ヶ島槍ノ坂ハンブン神様参拝が一日も早く正夢になることを期待している。

 

 

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